2017年1月4日、富士山外輪の毛無山の隣「竜ヶ岳」へ行ってきました。標高は1,485mとなります。
ダイヤモンド富士が見れることで有名なこの山は年末から年明けにかけ多くの登山客で賑わいます。
僕も一度はダイアモンド富士を見たいと思い、黒川鶏冠山を降りたその足で竜ヶ岳へ。
希望と野心に満ち溢れたまま車内で帳を降ろした僕が目を覚ました時。
あたりを包んでいた漆黒の闇がまさかここまで深いとは思いもしなかったのです。
今回は普通にダイヤモンド富士が見れると思ったら大間違い。竜ヶ岳への正しい登り方はほかのブログをご覧になり、僕の記事はダメな例としてご覧になってください。
皇海山以降恒例となった「ただただ辛いだけだった登山」の幕開けです…。
日本の文化、美術、信仰において欠かすことの出来ない存在としてその立ち居ちを確立する富士。
近代日本の礎を作り上げた徳川家康に愛され、江戸で花開いた芸術の中にも常に富士山は存在していた。
うっすらとかかる雲の奥に立っている富士を眺めつつ、先刻まで自分が置かれていた状況を反芻する。
眉間には数本の谷筋が刻まれ、顔の筋肉は硬直し、苦々しいとばかりの表情になる、僕は大敗を喫したのだ……。
はい、今回は竜ヶ岳です。
関東では年明けダイヤモンド富士を見るなら竜ヶ岳へ、というのが結構有名ではないでしょうか?
新年一発目に黒川鶏冠山を登り、その足で朝霧高原へ向かった僕。体力があれば竜ヶ岳から踵を返して毛無山までいってやろう、そんな甘い考えを打ち壊し、圧倒的絶望の底へと僕を叩き落とす景色が目の前に広がっていました。
新年明けましておめでとう登山2日目、絶望の竜ヶ岳登山が始まります…。
1日目の黒川鶏冠山の記事はこちら!続けて読むと楽しいよ!落差的にね!!
竜ヶ岳登山に関して
ご来光を求め朝霧高原から竜ヶ岳へ
2017年1月4日、竜ヶ岳朝霧高原側登山道。
誰もいない、誰歩いていない、どういうことだ、これはおかしい……。
気づいたときには時既に遅し、竜ヶ岳へ登る殆どの人は一緒に毛無山に登ったりなんかしない。
つまり朝霧高原側から登るやつなんて殆どいない。
漆黒の闇に包まれた杉林の中をヘッデンの光を便りに進む、冷や汗が吹き出し全く寒くない。
1月の初旬だというのに……、道迷い、滑落、獣…、あらゆる恐怖が込み上げてくる。埼玉に帰りたいという気持ちが込み上げてくるまでコンマ1秒とかからなかった。
昼間であれば何てことのない登山道も深夜であれば姿を変える。光がないということはなんと恐ろしいことか、看板が出てくるたびにほっとする。
午前6時5分、A沢貯水池前看板。
真夜中の森林は写真をいくらとろうとも真っ暗、なにも写らなかった。
いや、何か写りこんでくれたら困るんですけどね、幽霊とか幽霊とか幽霊とか。
カメラに残っていたのは看板の写真だけ、今でもあのときのベタついた汗の感覚が忘れられない。
A沢貯水池で地図の写真を撮影、いつでもカメラでルートを確認できるようにする。紙の地図は夜は見辛いということを身を持って体験するが、写真にとれば大丈夫だ。
午前6時45分、端足峠、竜ヶ岳と毛無山への分岐点へ。
貯水池からの事はあまり覚えていない、つづら折りの登山道を通常の1.2倍くらいの速度で登り続けて玉のような汗をかきつつも、鳥の声や枝の折れる音とかにおびえながら登り続けてきた、あれ、意外と覚えてる。
空が明るくなってきて状況がつかめてきた、僕の顔面は真っ青になる。なんということだ曇っている…2017年2回目の登山で曇り……、なんと不吉な。この分岐点まで到着さえすれば後は迷うことはない、しかしここにつくまでが大変なのでおすすめしない。
登山道に入るまで深夜の誰もいない別荘地を抜けたり、神社の横を通ったり貯水池という言葉だけで怖い場所を通り抜けなくてはならない、和風ホラーゲームの雄サイレンばりの恐怖体験を超えなくては登山道にたどり着けないのだ。
薄曇りだ、大丈夫だきっと……、そう言い聞かせて歩き続けるが全く晴れる兆候はない。
笹と低木の入り乱れるつまらない尾根道を張り裂けそうな悲壮な気持ちで歩き続ける。今すぐ下山して温泉に入りたい、きっつー。
ダイヤモンド富士どころか富士山そのものを見れるかの危機である、天気予報は晴れのまま。
何に怒りをぶつけてよいのかわからずに、ダイヤモンドタイムに間に合うように歩き続ける。
結構時間がないので汗水流して歩く、修行なのだこれは。地面はぐずぐず、この時期の外輪は霜柱が出来ては溶けるの繰り返しで登山道は散々たるものだった。
雲の奥に山が姿を表す、毛無山方面だ、ここから山頂が見えるわけがない、角度的に。
文章を書いていても表情筋が苦々しい顔を作ろうと勝手に動く、PTSDなのではないかこれは。
心拍数が下がらねぇーーーー!メディーーーーック!!!!
ピンクテープだけはやたら多い尾根道だが、そのピンクテープの半分でも良いから朝霧高原側に降ろしてはくれまいか。
尾根に上がるまで僕は獣、ケモナー、滑落、道迷い、暗闇に怯えて歩いていたのだ。
ピンクテープがあれば少しは安心できたのに、でも暗すぎるからなにも見えないかも、そんなことが次々と頭に沸き上がる。
低木と笹が広がるなだらかな道に入れば竜ヶ岳の登りは終わる、前半の急登だけ我慢すれば後は優しい尾根歩きでしかない。
先が全く見えない笹道はある意味神秘的である。
「あ、俺やっぱりさっき死んでたんじゃん……」と錯覚するほどここは天国ヘヴンズドアー。人と誰ともすれ違わないことがさらに不安をかき立てる、すごいたくさんの人がいると聞いていたのに誰もいない、どういうことだ。
白さを増す景色、話し声が聞こえる、ついに幻聴か。ここはさすがに天国じゃないだろうな、登り辛かったし……などと考えていたら山頂はすぐそこだった。
ガスガスの山頂でパール富士を見る
午前7時30分、竜ヶ岳山頂到着。
目の前に数名の登山客を発見し安堵する、そして同時に俺もその和に入れてくれよ。
下山時そっち側に降りさせてくれよという気持ちになる、今生の別れでまた引き返すのなんて絶対に嫌でござる。
山頂碑にはご丁寧に鏡餅が置かれていた、隣で山ガールと思われる女の子が「かわいー!」「すごーい!」と盛り上がり携帯のカメラで鏡餅を撮影する。
竜ヶ岳の無慈悲な暗闇に心が擦りきれた僕はその声を無心で聞きながら山頂碑の写真を撮った。心が死ぬとはこういうことか。
…………。
なぜ二つ??そのミカンみたいなダイアモンド富士を俺に見せてくれ竜ヶ岳。
しかし辺りは真っ白な静寂に包まれている、返事がないただのガスのようだ。
午前7時50分、ご来光。
そろそろ時間だから富士山を撮影しようか、そんな声か聞こえたのだが、え?富士山どこですか??!
と焦る僕、ベテランの方々が一斉に同じ方向を眺めるので僕もあわててそちらを見る、右向け右の精神である、社会の駒として鍛えられた根性がここで炸裂する。なんかうっすら光が見える……、その光をこの手につかみたい。
神聖な光を放つ太陽がゆっくりと姿を表す、しかしその姿はダイアモンドとは言い難く、さしずめパール。
大分良く言ったけどガスパール富士である、東方の三賢者みたいでかっこいい。
一瞬だけ姿を表す富士、そのまま雲が晴れてくれないですか……。
その願いはガスに吸い込まれ二度と戻ってこなかった。僕の2017年ダイアモンド富士はこうしてGASパール富士へと姿を変え、無情にも時間だけが過ぎさり、いつしか太陽は富士山よはるか上へと登っていくのだった。
空に浮かぶ真珠とそれに照らされる無限の笹原。なんか清々しい気分だ、ガスガスしい景色だけども頑張ったという実感だけがある。
時折姿を見せる青空、後30分早く来てくれませんか……。
富士の時間が終わり、下山しようかなと思っていたら皆が一斉に逆側に向かう。なにかと思えば南アルプスだった、ピーカンな南アルプスが姿を表す、白峰三山がマブい、激マブ。
まだ1月初旬では稜線が白いのみでしょうか、手前の山のせいでそう見えているだけかな。屏風みたいな南アルプスは所要時間3分ほどで真っ白な雲の向こうへと消えていった、ぐすん。
午前8時15分、下山開始。下山途中目の前に見えるのは晴れてる毛無山、そうかー今日はそっちでしたかー。
隣の山でしたかー、という残念な気持ちですが精も根も尽きているのでにこにこしながら下山します。登山をしていると菩薩の心が鍛えられます、そのまま菩薩の拳も会得できるはずだ。
ピストンなのでぐずぐずになっている笹と低木の登山道を降る、明るくなってようやく普通の登山道になりました。明け方は魑魅魍魎が闊歩してそうな危うさがあったのに。
ひたすらこんな道を降る。樹林が好きと堂々と人前で目を輝かせて話せる僕からしてもこれはかなりつまらない道だった。
暗闇のなか玉のような汗を流して登った杉林も明るくなってみれば奥多摩以下の道である。
太陽は偉大だなと思いつつ、一目散に朝霧高原を目指す。数時間前の暗闇を歩いていたときはダイアモンド富士を見ると息巻き、夢と希望に道溢れていたのに今はどうだ、ゾンビが一体歩いている。
再び杉林へ、夜はあまりに暗くて杉林を歩いてんだかなんなんだか良くわからなかった。明るくなってもなんだかよくわからない道だ。
ここでようやく日が射し、木漏れ日が木々の隙間から差し込む、杉林じゃなければ良い景色。
杉林を抜け麓にたどり着いた、ここから朝霧高原までが長い。来た道をそのまま戻ればよかったのだがハイキングルートを歩いて戻ろうとしたのが良くなかった。竜ヶ岳はすっかり雲が晴れ丸坊主の山頂を青空のもとさらしている、数時間前にその姿を見せてほしかった、なぜ今なのか問いただしたい。
ハイキングルート上には橋があったり川があったり、左に目をやれば必ず富士山が入ってくる。
午前10時15分、根原吊り橋。
一度に五人以上は歩けないらしい。ちなみに橋を渡る必要はなく、左に延びている道を歩けばショートカットになる、下にあるはずの川は枯れているためこの橋がなんのためにあるのか疑問が浮かんでくる。しかし今は考えるよりも歩くことが大事だと思い心を機械にして歩く。
橋は立派でした。
幾多の木道などを歩き朝霧高原へ、朝こんなに歩いたっけ?というくらい長かった。竜ヶ岳に行くのに朝霧高原は使っちゃダメなんだなということを体に刻み込んでいる。
しばらく歩き続けると富士山がきれいに見える原っぱに出た。朝霧高原は多分この丘の向こうにある、朝歩いた道よりも遥かに長い距離を歩いている気がする。自然歩道は本当におすすめできない、唯一この富士山の景色だけが癒しだが、歩いて5分もすれば慣れてしまう。
ずっと変わらない景色が憎たらしくてしょうがなくなるのも時間の問題なのだ。
午前11時00分、朝霧高原道の駅駐車場。
終わった、長い午前中が終わった。道の駅の駐車場は年明けの休日を家族で過ごす観光客やツーリング客が涼しい顔をしてくつろぐオアシスと化していた。そのなかに一人やたら目立つ赤い上着を着たぼろぼろのおっさんがいる、もう帰りたいという気持ちで一杯である。
夜に富士山と夜空を撮影したポイントで最後の一枚を納める、富士山は常にそこにあった。
ヨルハコンナニキレイダッタノニ…。
ありがとう富士山、僕は車に乗ると国道をひた走り、埼玉の自宅へと向かうのだった、下道で。
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