2023年12月10日、埼玉県は比企郡小川町にある低山「官ノ倉山」を歩いてきました。標高は344mで気軽なハイキングとして楽しめる奥武蔵エリアの北側にある低山です。
厳密には奥武蔵というには少し外れて外秩父山地北側にある山ですが、地図のジャンル上は奥武蔵だよなぁ~ということで奥武蔵エリアとして紹介いたします。
官ノ倉山は低山としてはかなり緩い部類で、登山というよりは町を含めたハイキングコースです。登って達成感というよりはエンジョイで歩く感じが強く、地縁の知識を楽しむ歴史散策路的に見ていくのがよいでしょう。
スタートは東武竹沢というかなりローカルな駅になりますが、ゴールが当ブログでは推しの駅となる小川町駅。
酒が有名な小川町にはグルメもたくさん!ということでワイナリーと併設のお洒落なトンカツが楽しめる武蔵とんナリーさんでトンカツとワインを楽しみたいと思います。
さらに小川町の日本酒と言えばここ!帝松さんの限定日本酒を手に入れて帰ります。
冬の低山歩きは歴史とグルメを探す、これ間違いなし!!
官ノ倉山日帰り登山の概要
官ノ倉山お手軽ハイキングへ向かう朝
2023年12月10日午前7時35分、朝霞台駅。
おはようございます、Redsugarでございます。冬の朝の駅のホームってきれいですよねぇ~、朝日が差し込んで金色の光に包まれる街っていいなぁと思います。冬は日の出が6:50分くらいまで遅くなるので、朝活も楽で毎年この時期だけは朝散歩をしているRedsugarです。
さて、本日は広義には奥武蔵に入れちゃいますが外秩父山地は東武竹沢~小川町を歩く低山ハイキングを楽しみたいと思います。
駅で電車を待つ間、少しだけ霞んだ空気が見せる朝の街をボケーッと見渡します。というかそれくらいしかやることがないんだよね、電車を待つ間。
午前9時00分、東武竹沢。
電車を乗り継ぎ到着本日のスタート地点となる東武竹沢駅にやってきました。地域をあげて官ノ倉山と金勝山を推しているのか、駅のホームにはハイキングコース下車駅!と書かれた案内板が。
東武竹沢駅は山間の小さな駅となりまして、外から見るとこんな感じです。一応ロータリーはあるけどすっごい田舎……。
東武竹沢駅がある小川町靭負は遠く平安から鎌倉時代にかけて名を馳せた武蔵七党の氏族、児玉党に属した竹沢氏が居を構えた場所です。児玉党は埼玉県本庄市児玉郡を中心に拠点を置いた武士団。総本家は児玉氏、庄氏、本庄氏と移り変わりますが、名前がもう地名ですね……本庄児玉ICの由来はここかと。
線路の反対側がスタート地点となるので、地下通路を抜けてスタート地点に向かいますが……その時現れたのがこちらの張り紙。
マムシがいるのか……、さすがに冬だから冬眠してると思いたいけど。最近の関東冬でも20℃とかあるからなぁ……。
東武竹沢駅を出るとまず目に入るのは靭負慈光尊と呼ばれる名所旧跡です。なんでも国道バイパス改修工事中に慈光平から出土した石碑が約600年前に造られた供養塔で、東武竹沢駅前の石仏2体と合わせて保存するために令和元年に造られたそうです。令和元年だから2019年ということです、訪れた23年の4年前だから新しく感じます。
石碑が出土した後に、駅の路傍の石仏2体も調査してみたら三百年くらいの時間を経た貴重なものとわかったそうです。日本全国こういう放置されていて調べられていない石仏とかまだまだたくさんありそうですね……。
竹沢駅からは埼玉の田舎町を歩いて三光社という神社を目指します。地名も歴史があるなぁと感心しますが、この辺の家を眺めていると多分江戸時代とか凄い昔から土着していたんだろうなぁと思うような大きな家がたくさん。
軒先の柿も実りすぎて大変なことになってる。
低山歩きの醍醐味は風土、テロワールを味わうことにありましてよ。山歩きだけを楽しむのはやや野蛮に思えるが、そこに好奇心のスパイスをかけるだけでだいぶ面白くなるというか、旅をしている感じを味わえる。
午前9時30分、三光神社。
登山口の手前にあるのがこちらの三光神社です。変わった名前というかかっこいい名前の神社だなぁと感心しながら奥に入ってみると、小さいながら年明け神事に向けていろいろと整えられておりました。
この神社自体は冒頭で話した竹沢氏が建立したものと伝えられ、神仏分離前は妙見菩薩を祭る妙見社と名乗っていました。
妙見菩薩は北極星と北斗七星を神格化したものになります。北極星や北斗七星という由来から星とか月とか日を祀る神社で三光神社ということらしい。
三光神社でお参りを済ませたところで生活道路を登って天王沼を目指します。
生活道路を登った先にあるのが農業用のため池である天王沼になります。官ノ倉山の実質的な登山口がこちらというわけ。
水面をよーーく見ると鯉がいたりしますね……。
天王沼を出発すると緑の砂漠っぽい杉の植林地帯を登って官ノ倉山を目指します。坂を少し登ったところで案内板が出てきましたが、この直後に官ノ倉山山頂がやってきます。
え??もう山頂!?と思うくらい山頂に到着するのは早かった……。
官ノ倉山と石尊山の里山巡り
杉林が山全体を覆う官ノ倉山ですが、日当たりのいい山頂部にはまだ紅葉した低木が残っています。左右に杉の木が並ぶ坂道を登っていくと一瞬で山頂が現れる……。
午前10時10分、官ノ倉山。
駅に降り立ち1時間ほどで官ノ倉山へ到着しました。山頂からは東側に武蔵丘陵森林公園とその先の鴻巣や行田。北を見れば鐘撞堂山につながる稜線と深谷方面の眺めが良いです。
地図で見るとこの景色の中には埼玉県北部の工場地帯があるみたい。ホンダの完成車工場ってこの辺にあったんですね。
官ノ倉山を出発したらお隣にある石尊山を目指します。木々の隙間からは山村農家がぽつぽつと見える。長閑で非常に暮らしやすそうです……。
山頂直下には社。どういう由来があるものかはわからないけど、関東は歴史が古いからこういう社一つ一つにもお話が付いていることでしょう。
石尊山までは枯葉が降り積もった杉林を下っていきます。
少し登り返すと石尊山へ到着。こちらの石尊山の面白いところは官ノ倉山と標高が全く同じ344.2mということです、そんなにぴったり合うことあるんだ……。名前にもある「石尊」を祭っているのですが、この「石尊」の本社は神奈川にある大山山頂に祀られています。大山神社は江戸時代までは石尊権現と呼ばれていたようです。山頂には巨大な磐座をご神体とする阿夫利神社が今もありますね。阿夫利神社ですが雨降りという言葉から来ているように雨乞いの山/神で、石尊を祭るこの石尊山周辺は雨が少なく農耕が難儀な場所だったということなんでしょう。
徳川家光の時代に大山詣が大流行したことにより、大山信仰が関東一円、信州まで広がったそうな。大山を詣でる講のことを石尊講と言うそうです。講の特徴は代参講であることで、くじ引きなどで選ばれた人物が全講員の代理で参拝するシステムを採用していたとか。
それ以外にも源頼朝の戦勝祈願の故事に由来した納め太刀が流行し、石尊権現の神名を記した大きな木刀を担いで大山に参拝したとか、これは浮世絵にも残っています。(大當大願成就有が瀧壷など)
……あ、神奈川の大山に登った時になんで木刀売ってるんだろう?って気になったけど、あれって意味があったんだ!!
石尊山からじーっと北の方角を見ると……うっすらと赤城山が見えます。
天気も良く紅葉の残り香を感じることができる冬の官ノ倉山、足元は落ち葉でふかふかです。
低山を歩いていると面白いのはこういった町の名前を刻んだ石柱です。境界杭と言いまして土地の境界を示しています。日本の山の中には結構これが残っていて、平成の大合併前のモノも沢山残っているとか……。
歴史を語る構造物っていうのはこうやって土地に刻まれていくのか。
12月中旬の乾燥が続く関東……、落ち葉はあっという間にカサカサに。
石尊山を過ぎれば道は一気に下り坂となり、杉林の中を通る古道を歩き北向不動を目指すことに。
登山道は谷底を走るようになりまして、光が全く入り込まないなんとも不気味な道に降り立ちます。珍しいことに道のわきにはか細い水脈があり、標高344mという低い山が集めた水がちょろちょろと音を立てて流れていました。調べてみれば不動の滝というらしいが……滝というほど水がないのは季節のせい?
午前11時00分、北向不動。
谷底の北向不動は名前の通り不動明王を祭っていて、比企郡小川町笠原の地を見下ろすように建っています。石尊山での話のとおり笠原の里は水利が悪く不自由な土地だったそうで、かつては雨乞いが行われていたそう。北向不動周辺はこの地域の信仰のよりどころだったということでしょう。
そして、北向不動を過ぎると集落に出て長福寺を目指すことになります。
この北向地蔵の石段ですが、石段マニアからしたら結構すごい石段らしい……。僕にはただの登りにくいというか落ちたら死ぬんじゃないかという恐ろしさがある階段にしか思えなかったが。
一度集落に降りてから再び山道に入りますが、山村の雑木林といった道でここはすぐに抜けることになります。
小川町を歩き酒とトンカツを楽しむ
雑木林を抜けると長福寺が見えてきます。入口にはお地蔵さんが並んでいますが……なんかかわいい。
午前11時30分、長福寺。
登山道中にあるのがこちらの天台宗に属する長福寺。高勝山恵学院と号し、養老元年(717年)に行基菩薩が開山したと伝えられる古刹です。山歩きをしていると行基菩薩の名前は実は結構見かけるので覚えておいても損はないかもしれない、とはいっても奈良の大仏建立の責任者となったということで教科書で見た人も多いのでは?
仏教に規制が多かった時代に民衆に仏教を布教する行基集団を形成し、畿内を中心に一大勢力を築き上げたのが行基上人と言われ、東大寺の四聖に数えられています。
長福寺は開山後しばらくすると荒廃してしまったのですが、1300年代に長尾四郎高勝という方の手により再興し現在に至るようです。
長尾っていうと長尾氏で坂東平氏の一門ということだろうか?前回の雲取山の際に出てきた将門VS秀郷の際にも坂東平氏の話をしたけど、その流れがこんなところにも……。
長福寺から先は小川町駅まで歩くことになりますが、山間の田舎街をのんびりと散歩ということで平和な時間がひたすら流れます。低山歩きの市街地のターンは意外に面白いんだよね。
軒先の紅葉などを楽しみながら古い家に歴史を感じたり、デカい家に「豪農かぁ!?」と驚いたり、風土を感じさせるものを探すのが楽しいのです。
長福寺を出た後は小川町にあるとっても大きな神社である八幡神社の参道を通り駅へと向かいます。
この参道は写真で見てもわかりますが昔からあるであろう道がそのままコンクリ道路になっています。現代は地縁や風土を壊しながら均一化された景色を各地に造っている時代だと思うのですが、その中でこういう今と過去が入り混じった道は珍しさがあって好きです。昭和99年的な変な感じがあるんだよな。
八幡神社を後に駅へ向かう途中で、小川町の地産品を取り扱う「おいでなせえ」さんへ立ち寄ることにしました。
店内は地産品の乾麺や日本酒を取り扱っていますが、帝松の日本酒は限定品が置いてあるんですよ!!時期的にも12月は新酒の時期ということで限定のお酒を試飲することができます。
1回の登山につき買っていい地酒は1本までと決めている俺だが……、限定品は全部ほしかった……ッ!!帝松さんの日本酒普通に美味しいんだもんなー。
お土産を購入して店を出て駅に向かいますが、次の電車まで時間があるし、お昼時ということでご飯を食べて帰ることにしました。いくつか店の候補はあったのですが……超お勧めの店「むさしとんナリー」さんへお邪魔しました。
めちゃくちゃお洒落なトンカツ&ワインを楽しめるお店で、官ノ倉山ハイキングの後には是非お勧めしたいお店です。
官ノ倉山ハイキングはコースタイムが短いため、小川町のブルワリーである麦雑穀工房さんがまだ開店していない時間に下山してしまうと思います。そんな時はここ!!野菜の素揚げってこんなにうまいの!?と驚くとんかつ屋さんへGO!!
前菜のサラダをいただいた後は見た目がかわいいトンカツをいただきますが、その付け合わせの野菜の素揚げがびっくりするくらいおいしい。このお店で素揚げを楽しんだ後、僕の中で素揚げブームがやってきたため、家に帰っても産直野菜を使った素揚げを自分で作っていたほど。
お肉も素晴らしく、やわらかくも歯ごたえしっかり!油がしっかりと染み出てきてごはんがススムとんかつでした。
電車が来るまでに食べれる量にしようと思ってトンカツ四個の定食にしたが、あまりに美味しかったのでもっとたくさん頼むんだったな……。小川町に行くときはまた訪れたいお店です。
昼食を食べた後は小川町駅から一路さいたま市へ。夕方になる前に家に到着することができましたとさ。
埼玉に住んでいると奥武蔵は地元の山ということになりますが、アクセスが簡単な場所は本当にいいですね。
今回購入したお土産はこちら。帝松さんの虎の巻白ですが本当に美味しいお酒だったのです。
それと奥さんと飲みたいなーと思ってむさしワイナリーの乾杯2022を購入しました。お酒を2本も購入する里山歩きは久しぶりかもしれない。
地産の乾麺も購入、こちらは黒うどんですが太さが二種類。どちらももちもちした触感とあっさりとした味が良く、春先から夏にかけてぶっかけで食べると美味しかったうどんです。
とくに太いほう、モッチモチで歯ごたえ抜群の黒うどん、腰のある麺だけど汁の絡まりもよく味がよくしみわたります。やっぱり歯ごたえ、食べてる感じ、咀嚼の満足度が高く、噛むたびに味が湧き上がるような食感がいい!
少しお高めの乾麺だけど美味しかったのでリピートしてもいいと思えました。
暑いときはやっぱりこれよ……男の料理ぶっかけうどんよ!!ネギにすりおろし大根にキムチに七味唐辛子!めんつゆをぶっかければまずいはずがないッ!!!(ズルルルルル
さて、冬季限定の帝松の日本酒「虎の巻」です、黒と白であったのだけど……僕は白が好きでした。口の中でわずかにシュワシュワと感じる微発泡、程よいコクに辛口特有の後味。小川町の酒蔵のものでは今のところこれが一番好きかも……書いててもまた飲みたくなってくる!
まるでシャンパンのような華やかさがあるお酒です。晩酌など酒を楽しむ時間のためのお酒で食事じゃなくて晩酌に、酒を楽しむ時間に飲みたい!飲みすぎずに、ゆっくりと少ない酒を楽しむ感じで、そういう優雅な時間を感じさせるお酒でした。9月以降くらいから登場するということなんですが、来年もこれのみたいな……と思わせてくれる、本当に美味いお酒でした。
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