2023年10月22日、東京都の秘境奥多摩の最奥に位置する日本百名山の一角「雲取山」を歩いてきました。標高は2,017mになり、2016年に来年の標高の山だなぁと思いながら雪が降り積もった山頂へ三峯方面からアクセスした山です。
雲取山を歩いたことはあるが秩父から鷹ノ巣山経由で水根に降りるという誰がまねをするというのか、というコースを歩いていたこともあり、メジャーな小袖駐車場からのピストンをいつかやってみたいと考えていました。
時期は雲取山のカラマツ紅葉が魅力的な黄色となる黄葉の10月後半に決行という形です。
ビルが無造作に林立し、コンクリートの地面にすし詰めに家が作られていく東京にあって、原生林を残した雲取山は東京との対比としての価値を深田久弥は言及していました。奥秩父の一角として歴史の観点で見ても非常に面白い雲取山。今回は小袖駐車場出発の鴨沢コース、またの名を将門迷走コースを日帰りで歩きたいと思います。
コースタイム的に1泊が推奨される雲取山。この山を日帰りで歩けるかどうかは体力の試金石になる山だなーと思いました。
雲取山鴨沢コース日帰り登山の概要
小袖登山口から将門迷走コースを辿る
午前5時35分、村営駐車場。
おはようございます、Redsugarです。本日はさいたま市からも結構近いぞ奥多摩の奥地小袖駐車場!がスタートです。
東京都だと思ったら山梨県だったんだここーっ!という場所から雲取山登山を楽しみたいと思います。
午前5時にはすでに駐車場は満車になっていたようですが、幸いなことにトイレ横の駐車スペースがまだ2台分くらい空いていたので駐車できました。
出発準備をしますが日が登り切っていない早朝、杉林の中は漆黒の闇夜が想定されるので、ヘッドライト登山で歩きたいと思います。
紅葉時期に限らず雲取山は人気の山だから、駐車できるかは運だね……。
駐車場から車道を少し登った場所にある小袖登山口から入山。夜明けの明るくなった空の光が差し込む場所はそれなりに明るいが、それ以外は真っ暗と言ってよい暗さ……。
この鴨沢コースですが、別名平将門迷走ルートと呼ばれています。1000年以上も昔、生活道路というか峠道や修験の道はあったのかもしれないが、山奥であることは変わらないこの山奥のへき地をさ迷い歩くなんて……。
スタート地点付近は杉の植林地帯になっています。2月くらいからとんでもない量のスギ花粉を東京都内、ひいては関東全域にもたらす公害の発生地点がだいたいこの辺かぁ……。花粉症の人間にとっては春の雲取山は悪魔の山と言っていいでしょうね。
雪が降るタイミングの雲取山は楽しそうだけど、雪がなく暖かい時期の花粉雲取山は恐ろしい……。
杉の植林は戦後の建築事情が影響しています。50年代から60年代、登山をしていると見かける山の乱開発の傷跡、それらは60年代付近の自然環境より戦後の成長を優先したカオスな時代に行われていたりします。植林事業もこの時代に全国的に活発になります。東京都の杉林は比較的管理されているほうなのかもしれないが……、それでも緑の砂漠という景色が広がっているのよね。
杉を密集して植えた場合は人間が枝打ちをして木漏れ日が地面に届くよう管理しないといけません。そうしないと光が入らない森ができて、斜面には杉の枝以外落ちていない茶色の山肌ができたりします。関東の低山を歩いていると結構そういうの見たりするっしょ?生物多様性が少ない緑の砂漠の出来上がりというわけです。
杉の林を歩いていると「あぁ、奥多摩だわ……東京だわ」という気分になります。登山というレジャーを考えると、できれば自然林の中を歩きたいなぁと思う。
陽が登りようやく森に光が差し込むようになってきました……。杉林を超えた辺りから将門さんの紹介看板が読める状況になってきた、雲取山鴨沢コースは地元の丹波山村が紹介の看板を作ってくれています。東京都最高峰だけどその道中は山梨県丹波山村っていうこと。
七ツ石小屋とかは東京都なんだべ?と思ったそこの方、住所を調べるとわかりますが山梨県です……。さすがに雲取山荘は東京都なんだべ?と思ったそこの都民、雲取山荘の住所は埼玉県秩父市です、埼玉県に入るための〈さ印〉の通行手形持って泊まりましょう。
午前6時45分、堂所。
日が登ったところでようやく読めるようになった将門看板ですが7/10である堂所まで来てしまいました。一応将門に疎い人にもわかるように要約してこれまでの経緯を記載します。
まず平氏ですが、西暦900年代(平安時代)には4つの血筋がありまして、将門は西暦730年に生まれ、平城京から平安京への遷都を行った桓武天皇の孫の平高望から始まる桓武平氏の一族の一人です。当時の日本の中心は京都で、国司と呼ばれる人間が僻地である東国(関東)とかに派遣させれそこを統治したりしていました。高望は東国の国司として今の千葉に赴任、京都から遠く離れた東国の在地勢力と関係を深め未墾地を開拓し勢力を拡大します。
その利権を守るために武士団を結成したのがいわゆる坂東平氏の源流となっていきます。
将門は桓武平氏の高望流に属し、現在の佐倉市あたりを領地とした平氏でした。15歳から12年ほどに平安京にて藤原氏に仕えていましたが官位は低かったようです。
その後、東国へ帰ることになるのですが……帰ったら親父の領地が伯父たちに独断で分割されるなどの不運に見舞われます。将門は領地を取り戻すための戦いを繰り広げながら、当時の関東平氏の実力者平良兼を倒してその地位に納まることに。
その後、京都から新たに赴任してきた国司が地元の豪族ともめた際の仲介などに入りますが、その最中に不動倉(備蓄米をしまう倉庫)を破った罪人を匿ってあげたりした結果、常陸国府との交戦状態に陥りこれを倒してしまいます。
将門はその際に印綬を没収するのですが、国司から印綬を取り上げる=朝廷に刃向かうということになり朝敵とされてしまいます。やってしまったものは仕方ない、将門はそこから瞬く間に関東一円を平定し官軍との戦いに備えますが……みたいな感じの流れで朝廷と戦うことになったのが将門なわけです。
結果としては、将門は集めた兵を一時帰国させ寡兵になったタイミングで攻められ敗走することになってしまいます。
この七つ石山周辺には将門敗走時伝説が残っているということで、地元の方が伝説をもとに丹波山村内の登山ルートに10か所の看板を設置したというものになります。読んでみるとまぁ……伝説っていうこともあると思うけど将門逃げる気があるのか??と思うようなところも
午前7時25分、七ツ石小屋。
雲取山登山でお世話になる山小屋の七ツ石小屋に到着しました。ここは奥多摩では貴重なテント泊が可能な山小屋になっています。小屋の近くの紅葉はとってもきれいだし、猫ちゃんはかわいいので是非立ち寄ってみてほしい小屋です。
さて、将門一行ですが敗走の中で小菅村から大丹波峠を越えて丹波山の奥秋にやってきました。そこから東西どちらに行くかを相談しますが、やっぱり故郷の関東っしょ?ということで一路青梅を目指すことになります。丹波川にある吞竜神社で「ここまでくれば追ってもこないっしょ?」ということで三日三晩盛大な酒盛りを行った結果、そこの地名は「お祭」となってしまいました……。ちなみに酒盛りの最中、密使の知らせで秀郷や貞盛の追手が近いことがわかり、その寺を後にします。
……いや、追われている身なんですよね!?飲んどる場合かーッ!?
七つ石小屋からは富士山が本当にきれいに見えます。奥多摩奥秩父の山並みの向こうに見える富士、手前には黄葉のカラマツ……これだよ雲取山の秋の登山っていうのはさ!!
んでな?雲取山から石尾根を経由して東に向かおうとしたのか、山中に入る一行なんだけども。釜場タワっていうところでのんきに飯を食ったりするわけ、さらに小袖にたどり着くと「いや、めっちゃ汗かいた。天気もいいし清流あるからみんなで汗流そうぜ?」っていうことで行水をしていたら夕立がきたらしい。慌てて見繕いした結果将門は小袖を着ないまま出発したってさ。だから地名が小袖。
……いや、ちょっと待て。まぁ伝説だからいいけど将門が負ける乱って季節的には1月とか2月じゃない??寒すぎじゃないのこれ。
歴史的には茨城の坂東市で戦ってたからここにはいないはずだけど……まぁ伝説だからいいか?楽しめばいいのか!?
小屋の裏の紅葉は真っ赤に染まっているものもあり、秋という季節を感じさせてくれます。テント泊デビューには手ごろでいいんじゃないかなぁ?僕も泊りに来たいぞ七ツ石小屋。
小袖で激しい夕立にあった将門は七ツ石山方面に向かって登り始めましたが、将門君のどが渇いたということで茶煮場という地点で休憩することにしたんだよね。夕立が来たっていうことで夕方から登り始めたのか?とか勘ぐるが流石にそれはないだろう、多分。休憩後、さらに進む将門だが登山者的には30分しないくらいで次の休憩スポット風呂岩で今度は風呂に入るという暴挙に出ます。いや……ここ山中で水場なんて近くにないけど??さすがに無理がないですか!?
あれ、ボケと突っ込みが両方突っ込みになってきたぞ。
七ツ石小屋の愛猫が外に出て日向ぼっこをしていたのですがこれがかわいい、白黒のハチ割れで靴下柄……間違いなくかわいいやつでした。小屋の水場は少ないですが水が出ており、奥多摩の美味しいお水をいただくことができます。
標高も上がり樹林帯から自然林の登山道になったことで、黄葉が美しい落葉樹の下を歩けるようになりました。秋の自然林は紅葉が美しくていい、奥多摩を歩くうえで幸せなひと時です、道も歩きやすいし。
さて、もういいよと思う人もいるかもしれないが。将門もこんな道を歩いて堂所まで来ました。茶を飲み風呂に入った将門君は見晴らしのいい堂所で甲冑を脱ぎ休憩をします、胴を置いたから堂所、嘘だと思うけどマジらしい。
三度ものんびりした将門ですが、同行者たちはもう限界が来ていたようで。次の紫久保では苦楽を共にした奥さんが限界を迎え短刀で首を突き自刃してしまいます、ここまで日常系休憩ストーリーだったのに急転直下のサスペンスだよ……。これによりご一行は七ツ石神社を目指すしかなく、修験の道をたどり秩父を目指すことに。
この後さらなるサスペンスというかホラー展開が!!お楽しみにッ!!
午前7時55分、七ッ石山。
七ツ石小屋から紅葉の登山道を登りきるとやってくるのが七ッ石山です。その由来ですが、さっきから吹き出しで話している将門伝説にありまして。山頂近くにあったとされる七ツ石神社に最後の祈願をして青梅を目指した一行、将門の影武者七人衆の藁人形を作りこの地に置いたらしいのです。追討軍の藤原秀郷がその人形を射抜いたところ、七体の人形は大きな七つの岩石に化身した、そこから七ツ石山という名前になったとのこと。
ちなみに将門を倒したこの藤原秀郷ですが、のちの源頼朝が英雄として参考にしたといわれています。藤原秀郷の子孫は坂東平氏と同じように関東に勢力を広め、主だったところで佐野氏、小山氏、宇都宮氏、結城氏、桐生氏、比企氏などいまだに駅名になるような家が生まれました。あれだね、北関東の種馬だね。
富士見の稜線歩きを満喫、雲取山へ
七ツ石山の山頂からはカラマツ黄葉と富士山の景色を楽しむことができます。ここから先は富士山がよく見える稜線歩きが続き、雲取山鴨沢コースでも一番楽しいエリアと言える道が続きます。
この稜線は本当に楽しいですよ!で、将門ですが天祖山を目指したらしいです、奥多摩方面の。七ツ石から石尾根を降ればいいのになぜか秩父の大血川方面へ向かいます。逃走の日々が続き食料も底をつき、心身疲弊しきった九十九人のお妃たちがそこで一斉に自害し、その血潮が七日七夜にわたり川を赤く染めたため川の名が大血川となったとか。サスペンスだと思ったら超ホラー展開だよ……、ていうかここまでどれだけの軍勢で歩いてたんだよ、そりゃ進軍速度遅いのも当たり前だよ。
ちなみに伝説自体も無理があると思ったのか、「お妃は家臣たちともいわれている」と注釈が入っている。
99人の登山好きでも何でもない女性を引き連れて山を歩くのはいくら何でも無理がある。死体から抜け落ちた髪の毛が恨みとともに流れ出て大血川の川海苔に化身したっていうのもホラーすぎる。途中までほのぼの休憩していた将門君の登山記だったのに……。
ブナ坂までやってきました、日原川へと下る道は封鎖中で実質石尾根縦走路を示すだけの看板になっています。奥多摩も奥地は登山道の荒廃が進んでいて、メジャーじゃない登山道はこれから十数年の間に廃道化が進むんでしょうね……。
将門君の伝説の最後ですけども。大血川でホラー展開を迎えましたが将門君は勇気を奮って登山を再開します……頭おかしい!狂ってるよこいつ!!
落ち着いて、ボケ側が発狂してどうするの!?
えーと、正直小袖の集落から谷沿いに奥多摩の集落へ歩けた気がするんだけど。わざわざ七ツ石山に登って、さらに雲取山を過ぎて芋木ノドッケから大血川に一回降りて、そこから登り返して天祖山から日原に降りて多摩川沿いに青梅の金剛寺に行ったっていうけどめちゃくちゃ無駄な山歩きしててやばい、迷走っていうレベルじゃない。金剛寺に到着した将門は馬の鞭に使っていた梅を地面に突き刺し「我が事、成るならこの梅栄よ、我が事成らぬならこの梅枯れよ」と言い、梅はそこに根を張った……育った梅についた実は青々としたままずっと実ったままだったことからこの地を青梅という。サラッととんでもねぇ由来が出てきた。その後、青梅を去った後将門は茨城県岩井の地で討ち取られたとさ。
おしまい。
というわけで将門というか関東豪族の暴力がものを言わす世界は朝廷の権力によって鎮められました。逆に関東の豪族の暴力が朝廷を黙らせるのが将門から三百年くらい後の鎌倉幕府の時代ということです。
内地の山は歴史が眠っていたりするから、そういうのに明るいと二倍も三倍も楽しめます。
と、枯れた綿毛の写真を撮りながらしみじみ思うRedsugarであった。
尾根を登っていくとヘリポートの手前で雲取山名物ダンシングツリーが見えてきました。腰を振って踊っているような陽気な唐松ですが、大人気な木なので登山客が記念撮影を行うので中々撮影できません。人がいなくなるのを10分くらい並ぶことも?
午前8時30分、ヘリポート。
ダンシングツリーからほどなくしてヘリポートに到着。ここ……冬に2017って足跡で文字を書いた場所な気がする。
というかどの山小屋からも離れたところにヘリポート作ったんだなぁ。
ヘリポート周辺の紅葉が一番きれいで、カラマツの黄色に加えて他の木々も黄金色に輝いていました。
木々の合間から見える富士山、雲取山への道中いろいろな場所から富士山を眺めることができますが……ヘリポート周辺が紅葉との合わせ技では良きかな?
雲取山へ向かう尾根道と巻き道が出てきますが、登りは巻き道かなぁ~と思い写真の右側へ。これが功を奏して紅葉の登山道を満喫できました。
ゆったりと歩ける巻き道は人気も少なくかなりリラックスして歩けます。尾根道は人が多く話し声が絶えませんが、こちらは静かでいいですよ。
二つの道が合流する地点で列柱構造になったカラマツのど真ん中に通された登山道を登る場所へ。なんか神殿チックでかっこいい道だなぁと思いながら歩けます。
登りきるとスカッと抜けた空と山々の向こうの富士山。こうしてみると凄い山深い場所に雲取山はあるのだなと……。そして伝説に記されている将門ですが、そりゃ進軍速度も遅いし迷走するのも仕方なさそうに思える。
写真の中央にある富士山にかかる形で伸びる稜線が大菩薩嶺です。大菩薩嶺は北から見ると端正な三角形で、その長大な稜線も合わせると確かに風格がある山だなと思います。
笹の草原が広がる稜線に上がると一気に視界が開け、雲取山の南側の山々を見下ろすような景色が。
稜線の奥には雲取山避難小屋が見え、周囲には紅葉したカラマツの木々が山肌を染めています。
ダンシングツリーくらいから登山道は防火帯になっていて、片側がカラマツの植林帯、片側が草原と延焼を防ぐための地形になっています。そのおかげで富士山がよく見えるというわけ。
午前9時20分、雲取山山頂到着。
懐かしい雲取山避難小屋へ到着しました、前回来たときは雪が積もっていて東京なのに雪山登山ができた雲取山避難小屋です。小屋の裏が山頂になっているため、実質ここが山頂です。
案の定山頂付近はすごいたくさんの登山客がおりまして、さすが東京の山ですわ。
秋の雲取山は稜線のカラマツが美しい
雲取山避難小屋のそばには山梨県の山頂標が建立されていて、そこからは富士山が非常に良く見えます。大菩薩嶺と合わせてみるならこの位置はかなり良い、平将門もここから富士山を見たんでしょうか?
小屋から少し離れたところに東京都が作った立派な石碑が建てられています。最近奥多摩の主流な山はみんなこの立派な石碑が山頂に建てられているようです。石碑の周りにはとにかく色々なモノが建てられていて……少しは整理せいッ!と思う。
山頂付近は強い風が吹くところでもあり、一部立ち枯れの木々が見られます。以前積雪した雲取山山頂に宿泊した際は、奥多摩方面から和名倉山方面へ吹きぬける強い風で耳が凍るかという思いをしました。
午前9時40分、雲取山山頂出発。
ポカポカ陽気の太陽で少し眠くなるような感じで、山頂で20分くらいのんびり過ごしていたのですが下山することにしました。雲取山の見どころはどこ?と聞かれればやっぱり山頂直下のこの眺めでしょう。防火帯が続く稜線を染めるカラマツの紅葉が是非見てほしい景色です。
この雲取山の稜線から見ると大岳山や、鷹ノ巣山、御前山、三頭山、川苔山がよく見えます。
雲取山鴨沢コースですがピストンということもありとにかく下山が早い……、積雪期も結構早く七ツ石山までたどり着いたと思うのですが、無雪期はより早く降って行けちゃう。
登りでは女坂を選択した箇所は上から見るとこのように開けた稜線の眺めを楽しむことが出来ます。紅葉時期は光がたっぷりと降り注ぐ朝以降のほうが紅葉の色付きがよいので、帰りに男坂を歩くのがおすすめかな。
開放感抜群ですねぇ。
黄金色の紅葉が続く雲取山の稜線はお昼近くが一番気持ちいいかもしれない。紅葉って朝は色が鈍いけど日が昇るとどんどん鮮やかになる。
七ツ石山までの下り坂は跳ねるように歩けてとても楽しいのです。さすが奥多摩と言いたくなるくらい道も立派で、トレイルランナーも気持ちよさそうに走り抜けていく……。
あっという間に七ツ石山を過ぎて樹林帯へ、下山は一気に進みます。
七ツ石小屋を過ぎたあたりでも日差しの影響で綺麗な紅葉が見れるようになっていました。早朝に出発したおかげでこれらの紅葉を余裕をもって楽しめるのはありがたいことです。
黄葉が終われば青々しい樹林帯をひたすら降るだけ。
時折道端に積み上げられたケルン??積石??には可愛らしいドングリが。こういうのを積み上げる人ってどんな人なんでしょうね、ランドネみたいな人のイメージがあります。
青々強い広葉樹の森を抜けると杉の植林帯へ……、緑の砂漠というにふさわしいトリックアートみたいな景色が続く道を降れば雲取山登山は終了となります。一気に下りましたけど、本当に雲取山登山の下りって早いんですよ……。
午後12時25分、村営駐車場。
下山開始から3時間もせずに駐車場へと帰ってきました。下山は早いと書いた理由がお分かりいただけましたでしょうか?雲取山は基本登り一辺倒なので、下りになるとすごい勢いで標高が下がっていきます。道も歩きやすいから登りに比べると降りの速度が速いのなんのって。
折角お昼時に下山できたこともあり、早めにお家に帰って家族と過ごしたいな~ということで本日は風呂とごはんはお家で食べることに。そんなわけでさいたま市からもほど近い奥多摩の山奥雲取山登山は終了となるのでした。
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