2023年12月29日、埼玉は飯能にある低山オブ低山「天覧山」を歩いてきました。標高は197mで埼玉県の低山といえばまず名前が挙がる場所の一つです。年末年始の帰省を前にして午前中だけ時間が空いたので、23年度最後の登山を楽しむぜ!ということで赴きました。
結果として本当に午前中で登山は終了し、モーニング珈琲とホットケーキを楽しんだ後、お昼には家に帰り帰省の準備をするといった感じで朝活で楽しめるくらい緩い山だなぁと思いました。
緩い山ではあるのですが、土を踏んで石段を登り、吾妻峡から水辺を歩くという景色の移り変わりがボリューム満点な朝活登山となりました。
手軽に楽しめる天覧山登山は子供と一緒に歩いても楽しそう!
天覧山朝活登山の概要
飯能街歩きを楽しむ年末の朝
2023年12月29日午前7時35分、飯能駅。
おはようございますRedsugarでございます。年末です……飯能の里山を目指してやってきましたが、街には全然人がいません、飯能市です。年末年始に雪山に行く人は多いだろうが、低山の定番「天覧山」に年末の29日やってくるような人って居るわけないよな。
寂しい空気が流れる商店街を抜けて天覧山登山口を目指します。
シャッターが閉まり切った早朝の飯能商店街、JCBカードの看板が朝日に浮かび上がります。明け方に歩くっていうのは田舎でも都市でも楽しいもんだよね、光が綺麗だから。
午前7時55分、観音寺。
天覧山を目指して飯能中央公園を目指しますが、その道中には町中の大きなお寺として観音寺が現れます。
山岳信仰を勉強していると、修験は大きく2系統で天台系(最澄起点)か真言系(空海起点)に分けられる、みたいなので覚えておこう真言宗というわけで観音寺は真言系のお寺です。
日本には各地に三十三か所霊場というのがありますが、こちらは高麗群三十三か所霊場の十番札所となるようです。
現在の観音寺は幕末動乱の一つ飯能戦争後に再建されたもののようです。1万円札の渋沢栄一が主人公の大河ドラマ「青天を衝け」の前半で戊辰戦争が描かれますが、戊辰戦争における埼玉エリアの戦いが飯能戦争。奥武蔵の顔振峠にある平九郎茶屋のように、飯能戦争で散った人々の名前を持ったお店とか、小話を伝える口碑ってこのエリアに多いんです。
年末、そして早朝の境内の空気は澄み切っていて、鼻から息を吸うのが美味いと思えるほど。
静かに参拝したら天覧山を目指します。
うう…、寒い、寒すぎる!
ローカル電車で山に行く際って基本朝ごはんを食べることがないので、体温が全然上がりません。関東の乾燥した空気、身体が底冷えしてきた……ので、飯能中央公園の自動販売機で噂のさつまいもミルクを購入してみました。
うん、悪くないと思う。いうほど不味くないと思うんだけどな??
飯能中央公園の目の前には天覧山とセットのお寺「能仁寺」があります。鎌倉仏教の一つである禅宗の中に位置する曹洞宗のお寺で、創建は室町時代の1501年となり、飯能の豪族中山氏によるもの。この中山氏ですが関東の低山の歴史にはかなりの頻度で登場する平安後期から室町時代の武士団、武蔵七党における丹党の加治氏の一族となります。
丹党加治氏は関東に多い坂東平氏系、藤原秀郷系、河内源氏系のどれにも属してないようです。その歴史は西暦400年代の宣化天皇から分岐する多治比古姓に遡れるとか。入間、飯能を拠点とした加治氏の後裔が中山氏になり、能仁寺に関わる中山家範は後北条指揮下で小田原征伐を戦い忠義の死を迎えました。
能仁寺の脇にある天覧山登山口から入山すると、舗装路の後に手すりが整備された階段が現れます。登山道らしい道を歩くことなくたどり着くのが天覧山山頂。これは我が家の4歳の娘でも登れると確信を得るくらい楽な道。
午前8時35分、天覧山山頂。
山頂は展望台になっていて、東京方面を見渡すことが出来ます。スカイツリーが出来てからは関東の低山の多くに「スカイツリーが見えるスポット」が作られましたが、天覧山山頂からももちろん見えます!めっちゃ小さいけどな!!
都心方面を見ても広大な関東平野マジ平ら~という感想以外は出てこないので、頭だけ見える富士山側の景色をご覧ください。雪化粧した上部だけがかろうじて……見える。
歴史が眠る多峯主山を目指して
天覧山山頂で関東平野と富士山の眺望を楽しんだ後は多峯主山を目指します。ここから先が本格的ハイキングコースになり、整備されつつも歩いていて楽しい雰囲気を持ち始めます。
多峯主山と天覧山は年間で8万人から9万人の人が訪れるハイキングコース。ということで道はガチガチに踏み固められ、土の地面はコンクリのように固い……!
多峯主山と天覧山の間には谷がありまして、湿地帯が広がっています。蛍とかドジョウとかサンショウウオが見れたりするといいますが、年末の29日ということもあり誠に寂しい景色が広がるのみ……。
谷を後にすると多峯主山へ向けて一直線に登る階段、杉の回廊を歩いていきます。時刻も8時を回りまして、天覧山と多峯主山歩きを日課とするような飯能在住のネイティブ散歩マンたちの往来が始まりました。
ラジオをつけながら歩く気持ちよさ……わかる、わかるよ。FM79.5、FM NACK5を聞きながら歩くと最高に気持ちいいだろうさ!!!
多峯主山へ向けて杉と低木の生い茂る雑木林を進む、この辺りは低山登山っぽさがちゃんとある。
ネイティブ散歩マンのほかにも、僕と同じように年末の29日に低山登山を楽しむハイカーも湧いてきました。さらにはこのエリアを拠点とするであろうランナーたちも……、地元民に愛されすぎな天覧山は往来が激しい。
午前9時10分、多峯主山。
天覧山から30分ほど歩くと多峯主山へ到着しました、天覧山よりは80mほど標高が高い多峯主山は眺望が非常に良いです。西武ドーム、新都心、新宿高層ビル群と関東の低山あるあるな景色が見れます。
天覧山よりもこっちのほうが景色がいいじゃーん。
関東の低山から関東平野を見ると綺麗な地平線が見えて良いよね、面白みはゼロだけどこれだけ平地が広がっていると墾田開拓には良かったのでは。
多峯主山山頂から少し降るとずいぶんと立派なお墓が現れます。お花が添えられていることから、誰かがいまだに整備をしてくれているのでしょう。こちらは中山氏の一族で江戸幕府の老中を務めた大名黒田直邦の墓になります。
黒田っていっても戦国時代の官兵衛とは別の系統です。
稲作地帯にある山神もそうだけど、こうやって花を手向けたり手入れをする人がいることで縁起が継続していく。それがなくなったときから歴史は地層に埋まり始めて忘却されていくんだろうなぁ、といったことを考えながら墓を観察。
黒田氏のお墓の下には茶色のドブ沼としか言えないような池があります……、いくらなんでも濁りすぎじゃない?
こちらの池ですが雨乞いのために作られた池となります。息を止めて池を七周すると池の中に変異が現れるらしい。
この池を7週って、そんなに息を止めれる人間居るのだろうか?
雨乞い池から尾根に復帰するとすぐに表れるのがこちらの御嶽八幡神社です。多峯主山は天覧山に比べると山頂から周囲に見どころが多すぎる……。
こちらの神社の成立の経緯は看板に記されています。御嶽の名前を冠していますが、成立後に分祀された結果追加されたものです。
元々は黒田氏の領地で、寄合の大河原氏が黒田氏から管理を委任されていました。大河原氏からの依頼で山仕事をしていた与平さん(当時年齢不詳)が、曽根刈りといった山仕事に当っていましたが、前岩付近で昼寝をしたところ、目が覚めたら山麓に転げ落ちてるという不思議な体験をしました。(絵を想像するとシュール)
与平は家に琴平宮を秘かに祀っていましたが、これは神仏の仕業と確信に至り、多峯主山に百段の石段を築き琴平宮を設置したのが始まりです。
で、その後御嶽講が大流行したときに御嶽神社の分霊を合祀、さらに明治40年に武人八幡を合祀して今の名前になったそうです。
いや、与平君ただの夢遊病患者では??と思わされる成立の歴史に突っ込まざるを得ない。
御嶽八幡神社の真下には大量の積石がありまして、まるで多峯主山の賽の河原かよという景色が広がっています。
ちょっと怖いよここっ!!
八幡神社からは与平さんが作ったと思われる石段が伸びていまして、麓には古い鳥居が建っています。
写真1枚目の祠があるあたりが前岩ですけど、そこから昼寝してごろんごろんごろんと麓に下って行ったら確実に死んでしまう……。
まぁ夢遊病か……、もしくは「俺、なんか不思議な体験したよ!」ってことにしたんじゃない?
静かな水の流れ、吾妻峡から飯能河原へ
多峯主山から石段を降り、そのまま登山道を降りるとすぐに車道に出まして……吾妻峡へと向かうことになります。
意外に色々と見どころがあるんだなと思わされるのがこの吾妻峡。観音寺、天覧山、多峯主山と過ぎて大部お腹いっぱいになって来たでしょ?
まだ割と面白い景色が残ってるから飯能はすごいよ。
多峯主山から吾妻峡へ降りますが、農家さんの畑の中を通って降ります。この農家さんが凄いファンキーな感じで、面白い畑が広がっています……。
「千円以上お買い上げの方にマジックお見せします」
「香れども 見えぬ百合合 名栗川」
「アメリカ日本中国ハート、仲良くしよう」
産直の案内板、キャンパーへ対する苦言、BBQのルール説明と苦言、思想強めの平和への願い、1句読んでみたと圧倒的カオスが広がる農園を抜けて吾妻峡へ降ることになります。
なんでしょう、恐ろしいのは霊や神ではなく生きている人間だというのをビンビンに感じれて最高だなここ……。
午前10時00分、吾妻峡入口。
カオス農園と名付けた畑を降ると水量少なめの川に飛び石が設置されています。こちらが吾妻峡……飯能自慢の渓谷といったところか。
冬ということもあり水量は少なめ。多峯主山の雨乞い池とかを思うと、飯能も水利がいいというわけではなく田植えには苦労があった土地なんでしょうね。
谷底に降り立つと巨岩が転がるいい雰囲気の渓谷歩きが始まります。
吾妻峡を歩いていて良いなと思うのは鎖が付いたちょっとアスレチックな道も出てくるところ。天覧山と多峯主山という優しい山歩きにちょっとした刺激を加えてくれる。
冬の木漏れ日が差し込む静かな川沿い。ジャリジャリと音を立てる小石と砂で作られた道を歩く時間は癒しですね。
午前10時45分、飯能河原。
吾妻峡から一度居住地へと上がり飯能河原へ。BBQで賑わうと噂の場所ですが、年末の29日は3組ほどのキャンパーが宴を楽しんでいました。12月末の午前11時前から宴ってすげぇな~と思いながら飯能駅を目指します。
飯能河原から出るころには街は目覚めて往来も賑やかに。年始へ向けて時が進む飯能の町を眺めながら……朝ごはんを探します。
お昼ごはんでもない今楽しみたいのはモーニング珈琲だと思う、いいお店ないかな?
ということで飯能駅から歩ける場所にある珈琲館にやってきました。ホットケーキセットを頼んで天覧山ハイキングからの優雅なモーニングを堪能します。登山後のコーヒーっていうのもええやん……レパートリーとして一つ持っておいて損はなさそうだ。ていうかホットケーキ美味しすぎて楽しかったですわ~。
モーニングホットケーキを楽しんだのち、お昼ご飯を作るために飯能からさいたま市への帰路に。手軽にアクセス出来て、結構満足できる良い低山ハイキングでしたね。天覧山……低山だと思って侮っていたが、やはり歴史を組み合わせると楽しい山だったぜ。
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