2025年9月24日、中央アルプス北部にある将棊頭山から木曽駒ヶ岳山頂までを歩いてきました。現在はロープウェイが開通し千畳敷から登るのが一般的とされている木曽駒ヶ岳ですが、桂小場はそれ以前に使われていたクラシックルート(内ノ萱ルート)という位置づけになります。将棊頭山は標高2,730mです。
北には修験の対象となる行者岩を有する茶臼山(塩尻市最高峰、かつ全国の茶臼山で一番標高が高い)があり、西の稜線を歩いていけば木曽駒ヶ岳(標高2,956m)にたどり着くことができます。
桂小場を出発し木曾駒ヶ岳まで往復した場合、距離は約20㎞、標高差は約2,100mと非常に体力が求められる登山となります。
台風シーズンで晴れ間が貴重な9月。登山客でにぎわう木曽駒ヶ岳ではなく、前から興味があった将棊頭山へ登ろうと桂小場へ。いざ山頂までたどり着いてみると、思いのほか近い木曽駒ヶ岳まで足を延ばしてしまうのでした。
北にある行者岩と茶臼山にはまた違う魅力があり、もう一度歩いてみたいなと思わせてくれる桂小場コース。
初秋の中央アルプス稜線を目指す登山の始まりです。
redsugar桂小場クラシックルートはすごい楽しかった。茶臼山に興味があるのでまた歩いてみたいです。
将棊頭山日帰り往復登山の概要
木曽駒ヶ岳クラシックルート登山の始まり






2025年9月24日午前6時55分、桂小場。
おはようございます、Redsugarでございます。
本日は桂小場から将棊頭山を目指したいと思います。公共交通機関ではアクセスがしにくい桂小場ですが、登山準備をしていたら数台のタクシーがやってきまして、登山客が登山口へと吸い込まれていきました。伊那市駅からタクシーでそんなに遠くないので、前泊で準備をしてきた方々でしょうか。縦走が可能になるのでちょっとうらやましいですね。



木曽駒ヶ岳クラシックルートの起点となる桂小場登山口。ここからの道のりは長いのですが、穏やかな道のりなのでそこまできつくはなかった印象があります。空木岳の池山尾根よりは全然歩きやすかったかなと。


登山口には東屋があり、登山届を提出するためのポストが備え付けられています。忘れ物がいくつか放置されていて、ちょっと寂しい景色が広がっている。


登山口から踏み出し緑豊かな樹林帯へ。スタート時点では広葉樹が多い森の中を歩く状態です。


池山尾根とどうしても比較してしまうのですが、桂小場コースは水場が多いなと。木曽駒ヶ岳の歴史を遡ると暦応元年(西暦1338年)に高遠家親という方が山路を開いたという文献があるそうです。江戸時代には駒ヶ岳の修験が盛んになり多くの人が歩いていたとのこと。
クラシックルートって呼ばれる道は新道に比べると、道が穏やかで休憩ポイントもあるし、水場も多い印象がありますが、桂小場のルートはまさしくそんな感じです。






西駒山荘まで、各地点に現在標高を示す板が取り付けられています。よく見てみるとまだ1,100m近く登らないといけないのか……と心が打ち砕かれそうになりますが、標高差に対して道が穏やかなので、そこまで疲れなかったかなと。


ちりめん坂と呼ばれる地点を歩いていてびっくりしたのですが、足元にヤスデが大量にわいてくるのです。



え、なんかこの道ヤスデが大量に発生してるんだけど。もしかしてちりめんってこれのこと??
カラマツの落ち葉が降り積もった地面に、小さな穴が開いています。そこからもぞもぞと顔をのぞかせる大量のヤスデ。虫が嫌いな人ならちょっとこの道は厳しいのではないだろうかと思うくらい、ヤスデが地面からポップしてくる。


午前8時00分、野田場。
地面からヤスデがわいてくる坂道をしばらく歩いた先に、野田場と呼ばれる休憩地点がやってきます。水がわいているのですが、備え付けのカップで飲む気は一切起きない。木曽駒ヶ岳クラシックルートを歩くときは絶対にマイカップを持っていきたい。



俺ヤスデとかダメなんだよぉ。あれ見た後に湧き水飲むのは正直しんどいって。




登山道の脇を眺めて歩いていると、ジコボウがところどこに生えていました。北海道では落葉キノコと呼んでいましたが、この辺ではジコボウというらしいです。両親が好きで、ゆでた落葉キノコを切り刻んだショウガと、しょうゆで漬物にして食べていました。僕はキノコ全般食べれないので、採るだけでしたが……。


ちりめん坂が終わり、亜高山帯の森が始まるとヤスデも姿を消しました。ようやく気持ちよく歩けます。
写真のような単調で緩やかな上り坂をゆっくりと登っていきましょう。






午前8時35分、落雷事故現場。
登山道を歩いていると急に現れるのが「落雷事故現場」の看板です。昭和50年(1975年)7月24日午後1時40分、この場所を歩いていた団体の中学生たちに雷が落ちたという話です。詳細を話すと、北御所登山口(ウドンヤ峠のところ)から入山した中学2年生の登山隊。伊那前岳で雷雲の洗礼を受けつつ宝剣山荘に泊まり、翌日早朝から下山を開始するも午前から雷雲が発達、土砂降りの雨の中森林地帯を下降中の午後1時40分、雷撃がこの木を直撃。そのわきを通っていた1名が側撃雷を受けて意識不明、さらに地面の水を伝わった雷電により多くの生徒が火傷を負ったが……幸いにして全員快復した。
というわけで、死者は出ていませんでいた、よかった。



事件から25年後の平成12年(西暦2000年)に同窓生がここに標を残したということです。死人が出てなくてよかったものの、気象遭難のリスクを今に伝える痕跡だなと思いますね。夏の積乱雲は本当に恐ろしい。






雷撃の石碑には雷に当たった直後の凄惨な状況を端的に表す言葉が刻まれていますが、その直後先生が「出発」と声をかけたことで、希望を見出した……ということであってるのかな?
そこから少し登ったところに、茶臼山行者岩の展望と書かれた看板が現れますが、周りの木が大きく育ちすぎて展望がありません……。



奈良井川は松本盆地を東西に隔てる一級河川になります。信濃川に合流して日本海側へと流れていく川になりますね。


奈良井川源流部をさらに上へ上へと歩いていくと、亜高山帯の樹林帯へ。切り開かれた登山道は穏やかで歩きやすい。


大樽避難小屋が近づくころには苔も勢いを増してきて、瑞々しい空気があたりを包みます。潤いにあふれた森の中という感じでしょうか、森林浴には気持ちがいい場所です。






午前9時05分、大樽避難小屋。
雷撃地点から30分ほど山道を登ったところで大樽避難小屋に到着しました。外見は古い小屋ですが、内部は銀マットも敷かれていて、それなりに過ごしやすそう。トイレは外に簡易的なものがあります。
小屋周辺は苔むした地面とシラビソでできた森で、足元が開けた場所が続きます。休憩するにはとてもいい場所ではないかと。



実際、数名の登山客がこの場所で休憩をしていました。僕もここで行動食と、水分補給。まだまだ先は長い。
聖職の碑が佇む稜線を目指して


小屋の前の朽ち木に、ミヤママスタケが生えていました。これはウッドチキンともいわれているキノコで、ソテーにすると鶏肉の味がするといわれているそうです。ただ、幼菌の話で老菌は食用に適さないことや、体質によって毒になるということも言われており、とって食べたいかといわれると……食べたくない。
というか、Redsugarはきのこ全般を食べることができませんので、眺めるだけでおしまいです。



ミヤママスタケはとにかくでかい。深山幽谷のツキヨダケと同じくらいの、30㎝級のサイズになるそうです。今回の山行で多くのミヤママスタケを見かけましたが、どれも巨大でした。






大樽避難小屋からさらに登っていきます。まだ六合目じゃないんかいという気持ちにはなりますね……長いのですよこのコース。ただ、草木の刈り払いは行き届いていて、現役で人々が歩く人気のクラシックルートという趣があります。




弘法石胸突八丁と書かれた木柱と、巨大な岩が現れます。登山をしていると弘法大師空海を縁起に持つ史跡を目にすることが多いです。岩の上には登山をする方々が積み上げたであろう小石が並んでいました。
胸突八丁はいわゆる「急坂」ということです。胸が苦しくなるくらい息が上がる坂のことを示しています。こちらも登山をしているとよく見る名前で、妙高山などにも同名の坂があります。



石を積む行為にはいろいろな意味があります。弘法岩は文脈的には結縁や願いを届ける的なものになるのかなと。賽の河原やケルンでも意味が変わりますが、積まれた石のある場所性から類推することになるでしょう。






午前9時55分、津島神社。
津島神社と書かれた木柱の場所までやってきました。社のようなものはありませんが、磐座と一目でわかる巨岩が地表に姿を現しています。周囲を歩いてみたところ、修験者が残したと思われる古い木版のかけらのようなものが落ちていました、今でも行場として使われているのかな?






津島神社からさらに上がると、胸突ノ頭と呼ばれる坂の終点に到着します。看板に記された数字に目をやると、降りるのと登るのがほぼ同じ時間かぁ……と。ちなみにこのコースの胸突八丁はそこまで胸を突いてこなかった、これは僕の成長だろうか。



下山の記録を見てみると、確かにすごく早く降れてるんですよ、このコース。


ほぼ森林限界といって差し支えない低木の樹林帯を進みます。


ハイマツを潜り抜けると白い花崗岩質の稜線へ、分水嶺地点に到着します。


稜線に出るとまず最初に目につくのは行者岩がある茶臼山方面の景色です。全国にある茶臼山の中でここが一番標高が高いそうです。さらに、塩尻市の最高地点らしい。塩尻市民の方々は一度踏んでみてもよいのではないでしょうか。



ちなみに私が生まれた北海道音更町の最高地点は300mくらいしかありません。今住んでいるさいたま市なんて最高地点が約20メートル。生活している場所の最高峰を踏んでみるというチャレンジは面白いと思いますよ。






午前10時35分、分水嶺。
茶臼山と将棊頭山の中間に位置する鞍部に「分水嶺」と書かれた場所があります。これは日本海側と太平洋側と、水系がわかれる中央分水嶺の要衝となります。関東でいうと笠取山のふもとにある源流地点みたいなものです。



信濃川水系である奈良井川は日本海側へ。天竜川水系は太平洋側へ。この尾根を境にして水が流れる方向が違うんですね。


稜線地帯は紅葉が始まっていて、うっすらと黄色がかった木々が稜線に華を添えています。もうあと1週もすればきれいな色づきの中、登れたことでしょうね。そういえば、駒峰ヒュッテの小屋番さんは秋が一番混むって言ってたっけ。






午前10時55分、西駒山荘。
ジャバジャバと水が湧き出ている西駒山荘に到着しました。将棊頭山の山頂直下にある西駒山荘は現代的な「家」っぽい建物で、街にあっても違和感がない佇まいが特徴的です。木曽駒ヶ岳からは離れているので、静かな時間が過ごせそうな場所でした。聞けば2014年に建て替えられたということで、山小屋としては築浅物件としてみていいのではないでしょうか。(実際すごくきれいな小屋です)



実際クラシックルートで縦走を考えると、初日西駒山荘、二日目檜尾小屋、三日目駒峰ヒュッテ、四日目越百小屋といい感じで結んでいけそうな感覚で小屋があるんですね。




西駒山荘には石室と呼ばれる石造りの小屋があります。きれいな床の間が整備された石室ですが、100年以上前に発生した大量遭難事件を契機に作られました。序文でも紹介した新田次郎の「聖職の碑」の題材となった学生たちの遭難事故です。2018年に登録有形文化財に指定された石室ですが、内部には歴史を今に伝える写真なども飾られています。



訪れた際はぜひ中を一瞥してみることをお勧めします。




せっかく訪れたことだしジュース買おうか……とドアを開けようとしたら、開かない。鍵がかけられているようだ。
なんか山小屋というにはすごい街っぽい雰囲気が漂う玄関を眺めながら、ふと奥の壁に目を移すと……小屋番さん不在の張り紙が。



まぁ、水は十分にあるから別にいいか。


聖職の碑にまつわる石碑があるはずで、まずはそこまで行ってみることにしましょう。
ちなみに、将棊頭山の罠の一つとして「山頂わかりにくい」というものがあります、かくいうRedsugar、往路で山頂を踏むのを忘れました。遭難記念碑を目指して歩いていたから、山頂をすっかりと忘れていました。



山頂は遭難記念碑とは別の場所で、記念碑に進む途中にある尾根側の分岐点を登った先になります。


稜線地帯を歩いていくと白砂の稜線の上に巨大な花崗岩が積み重なった場所が現れます。磐座じみた雰囲気がある場所ですが、まさにそこが遭難記念碑の場所になります。記念というと「いいこと」のように思えますが、言葉の意味としては忘れずに心にとどめておくこと、戒めや追悼の意味合いもあります。



木曽駒ヶ岳大量遭難事故では将棊頭山山頂付近で11名が死亡しています。8月後半の台風シーズン、晴れていれば気温が高くても、稜線上で雨が降ればすぐに低体温症になってしまうという事故でした。
あと、子供は体が小さく体温の変化への抵抗力が大人ほどないですから……、痛ましい事故ですね。






午前11時20分、遭難記念碑。
花崗岩の巨岩に遭難記念碑とがっちりと文字が彫られていました。一つは風化して内容が分からなくなっていますが、小さい石碑の内容はいまだ明瞭です。周囲を見渡すと開けた景色が広がるばかりで、風雨から身を守れるような感じはありません。



天気のいい夏場であれば気持ちの良い場所なんだろうけど、ひとたび天候が悪化すると風と雨を直接身に受けてしまうような場所ですね。
将棊頭山から歩く木曽駒ヶ岳






本日の目的地は将棊頭山でしたが、宝剣岳が思いのほか近く見えたこともあり行ってみることにしました。
稜線は登り基調となるため、ジリジリと標高が上がっていくのですが、ナナカマドがきれいに紅葉しているなど稜線はしっかりと秋の様相。


将棊頭山から見る木曽駒ヶ岳山頂方面は大きなアップダウンが2回ほどあるようです。遮るものがない見晴らしのいい稜線が続くので、足が吸い込まれていくように進んでいってしまう。



時間的にも天候的にも大丈夫かな、ヘッドライトもあるし。進もうか。


稜線を進んでいくと濃ヶ池分岐点がやってきます。木曽駒ヶ岳を歩くなら千畳敷だけではなく、濃ヶ池も是非訪れてほしい場所の一つです。池自体もいいのですが、池から宝剣山荘に向けて復帰する登山道の景色にも素晴らしいものがあります。
濃ヶ池の景色などを見てみたい方はこちらの記事をご覧ください。




山麓から馬ノ背の稜線に向かってガスが吹き上がっていきます。濃ヶ池分岐から山頂まではコースタイムで1時間40分と書かれていますが、実際に歩いたところ僕の足で1時間ほどでした。この辺は個人個人の体力に依存する所なので、参考程度にご覧ください。



聖職の碑というか、遭難事故の際の登山ルートはこの稜線ではなく濃ヶ池から中岳を経由して木曽駒ヶ岳山頂に立つというルートを歩いたそうです。馬ノ背は風が強そうだからなぁ……。






馬ノ背の登り坂は中々厳しい……。緩やかなハイマツ地帯の後に急な斜面が現れます、短い区間ですが息が上がる。
足元に広がるウラシマツツジは赤く紅葉していて、朝晩の稜線の冷え込み具合を知らせてくれます。



稜線は確かに素晴らしく、好天であればまず将棊頭山から先へも足を進めたくなるでしょう。山頂として強力な誘因力がある木曽駒ヶ岳に吸い込まれるようにして足が進んでいきます。歩けてしまう分ちょっと怖い道だなと思う。






岩が露出した馬ノ背の急な坂道を登りきると、伊那前岳・宝剣岳・中岳をきれいに見渡せる展望台のような稜線に辿り着きます。振り返ると岩が露になった山肌がくっきり……、穏やかな稜線の裏側には落ちたら一発アウトな斜面。


山頂直下はゴロゴロとした岩が階段状に積み重なった遊歩道のような道が続きます、ここは歩いていて気持ちがいい。人の往来も盛んで、不思議と安心感がある場所です。


赤く色づくウラシマツツジの先には頂上山荘の姿が。ロープウェイ方面からはたくさんの人が訪れているようですね。不動の山の上をアリのような大きさの人々が行ったり来たりする様を、ストックの上に顎を乗せて眺めていました。



登山をしていると常に自分が動いている視線を持つことになるのですが、時には立ち止まって景色を漫然として眺め、その中の動きを観察する、というのも楽しい行為です。


山頂直下までやってくると紅葉が一段進んでいて、黄色く色づいた木々がそこかしこに姿を現します。将棊頭山は静かな潤いに包まれていましたが、木曽駒ヶ岳は賑やかな声が耳を楽しませます。






午後12時30分、木曽駒ヶ岳山頂。
桂小場から約5時間30分で木曽駒ヶ岳山頂に到着しました。将棊頭山で終わらせる予定だったのですが、気持ちがよい稜線を歩いて、気が付いたらここまで来てしまった、下山を急がねばなりませんね。
秋晴れの山頂には登山客の姿も多く、多くの人々が百名山の眺めを楽しんでいました。


将棊頭山でジュース買えなかったから、頂上山荘でなんか買いたいなぁ……。巻き道で戻ることも可能ということで、山荘に立ち寄ってから帰ることにしました。




午後1時00分、頂上山荘。
5時間以上登り続けたこともあり、さすがにちょっとエネルギーが枯渇していたようです。エナジーバーとコーラで栄養補給をしたら足の気怠さが改善しました。小屋の方とお話ししていると、西駒山荘の小屋番さんが先ほどお帰りになられたと……、どうやら道中のどこかでスライドしていたようですね。



すれ違いのことをスライドっていうのはどこまで通じるんでしょうか、皆さんの周囲はすれ違う人々のことをスライドすると言いますか?
将棊頭山山頂へ、秋の稜線歩き


頂上山荘を出発したら巻き道を利用して濃ヶ池分岐まで戻ります。
あまり歩く人がいない道ですが、稜線に広がるお花畑の中を歩くような道で、稜線とはまた違った気持ちよさがあります。


登山道は花崗岩が敷き詰められていますし、ロープも張られていて道は明瞭。
風雨の影響か、登山客が踏み鳴らした影響か、転がる岩の表面は角が取れています。登山において、人気コースには「人の影響」が如実に表れている場所がたまにあります。例えばみんながつかむ木や石は、そこだけつるつるになっていたりします。駅の階段を見たときに、床に黒い線がついているのと同じ事が起こっているんですね。



駅の階段の話は佐々木正人さんの「アフォーダンス―知性はどこに生まれるか」等に詳しいです。階段における地面の縁を見たとき、人間は環境中の情報を汲み取って足の位置を調整します。その結果、人々が踵を合わせる位置が、階段の手前につく黒い線になって現れるという話です。






将棊頭山方面へと戻る道を辿りながら南に目を向けると、これまでになくシンボリックな宝剣岳が現れました。
中岳や木曽駒ヶ岳から見るのとはまた違った、シンメトリックな姿にほれぼれとしますね。


日が傾く事で山肌の「見え」が変わってきました。木曽駒ヶ岳から北部に伸びる巨大な山の斜面に「貫禄」を感じます。千畳敷もすごいところだけど、福島Bコース側の景色も凄そうだ……。



木曽駒ヶ岳は桂小場、福島A・B、上松A・B、北御所、権現山、信大コースといろんな道が山頂に伸びています。クラシックルートと呼ばれる桂小場からの道は千畳敷からに比較すると、非常に濃い味がする道だったと思います。






馬ノ背地点を振り返ります。往路では気が付きませんでしたが、切れ落ちた斜面の迫力がすごいなぁ……。
稜線から見下ろすと、どちらの斜面も石が落ちたら止まることがないような急峻さがあります。




徐々にガスが上がり、空が白に覆われていく中、濃ヶ池分岐を越えて遭難記念碑まで戻ってきました。
Redsugar、ここで気が付きます。



「……将棊頭山の山頂ってここじゃないよな?」


紅葉が進む稜線地帯に雲が舞い上がります、午後の日差しを受けて黄色が濃さを増していくように思えます。
馬ノ背から見ていた稜線を思い返すと、遭難記念碑の隣にピークがあったよなと。
遭難記念碑の近くからハイマツの中に伸びる道を見つけ、そこを登っていくことに。









「うわ、山頂こっちだったわ……」
午後2時35分、将棊頭山。
周囲を雲が覆っていく午後2時半、将棊頭山の山頂に到着しました。
往路では記念碑と木曽駒ヶ岳に目が向いて、こちらに気が付くことができませんでした。
茶臼山を目指して歩いた際に、改めてここを踏もう……。






午後3時00分、分水嶺。
木曽駒ヶ岳まで歩いたため、時間の余裕を食いつぶしてしまいました。
樹林帯が暗くなり始める17時には駐車場にいたいと考えると、分水嶺からはコースタイムを30分ほど巻きで降りる必要が出てきます。



秋の登山は出来れば16時くらいには駐車場にいると安全かなと思います。


分水嶺から見上げる行者岩。桂小場コースはもう一度訪れる意味があるなと思わせてくれる景色でした。
桂小場への下山、ただひたすらに、歩く






分水嶺の分岐点からはただひたすらに下山を急ぎます。幸いにして道は穏やかで、すいすいと降りていくことができます。まずは津島神社に降り立ち、胸突八丁の急坂を急ぎ足で駆け下ります。






登り道では間延びしている感覚があった登山道ですが、下山となると早いものです。間延びしている感じは変わらないんだけど……。下山していて思ったのが、燧ヶ岳の長英新道の「横に長すぎる」というあの感覚がふつふつと湧いてきます。






午後4時00分、大樽避難小屋。
信大分岐を超えると刈払いが行き届き、下るというか平坦な道や少し登る坂道を進むことになります。往復で20㎞、登山だけどハーフマラソンくらいの距離を歩くわけですが、山道は舗装路のように早く進めるわけではありません。



それでも分水嶺から1時間で大樽避難小屋まで歩いてきました。このペースでいけばあと1時間半以内には下山できるのではないか。






午後4時10分、落雷事故現場。
大樽小屋から下山を進めると、すぐに落雷事故現場へ。登りの際は30分かかっていた道ですが、下り坂では10分程度と、倍速以上の速度で歩けています。それもこれも道が歩きやすいということの結果なんですけども。


足元を見て歩いていると、朝見かけたものとはまた違うジコボウをいくつか見かけました。桂小場周辺の笹薮はキノコがたくさん生えてそうです。ちなみに、中央アルプス一帯は国立公園に指定されているので採取はできません。


太陽の日差しが失われ、空の白が降り注ぐ森は薄暗く、野生動物がいるのではないかという心配がこみ上げてきます。写真では明るく見えるカラマツの植林地帯ですが、実際は2段ほど暗い景色が広がっています。



2段というのはカメラで、ということです。本当に暗い道だった……。時期的に熊のニューズが多いこともあり、不安にさいなまれる道でした。実際は、標高が高い場所にはクマの食料が少ないので、カモシカのほうが遭遇率は高いのだろうけど。






午後5時00分、桂小場。
刈払いが行き届いた遊歩道のような道を早歩きでずんずん進むうちに桂小場に到着しました。下山するころには残照の時間帯となっており、空はまだ明るいものの太陽は山のむこうに沈んでいたようです。あと30分遅れていたらヘッドライト登山でした。木曽駒ヶ岳まで歩くことはできましたが、余裕はあまりない下山になってしまったのが反省点です。



下山後は温泉に向かうのですが、その前にJokuraさんでお土産のお酒などを購入することにしました。桂小場周辺では、こちらのお店は物産品を購入するのに一つおすすめといえる場所になるかと思います。






お土産を購入後は一路ふれあい交流センター大芝の湯へ。木曽駒ヶ岳を降りた後の温泉といえばロープウェイ周辺の早太郎温泉のイメージが強いのですが、桂小場は北の伊那市に近いため下山後の入浴施設も自然と変わります。この温泉のいいところは伊那ICに近いところにあるため、帰宅の道中で温泉に入れることではないでしょうか。



牛乳に種類があるのがいいですね。プリンも食べてしまった。
お土産と入浴を済ませた後は伊那ICから埼玉へ。自走登山ゆえの渋滞の苦しみを味わいながら家へと帰るのでした。


今回ですが、お土産の画像を撮影し忘れていました。私としたことが何というミス……。お土産で購入したのは信濃鶴の田皐というものになります。信濃鶴さんの中では一番手に取りやすいデイリー日本酒的な立ち位置なのでは。田皐はおいしいですし、その上の頑卓もお酒自体を楽しめる旨味にあふれたお酒だったと思っています。



味はスッキリとしていて、四合瓶で1500円から2000円以下という激戦区では一般的な癖のなさと華やかさを持つ。
鼻に抜ける香りも強すぎることなく、アルコールの熱がじんわりと舌と喉に抜ける感じを味わえます。無濾過生原酒ということで、冷やして飲むととっても美味しいお酒だと思います。熱燗にする必要性がない、十分な甘みと果物のような華やかな香りが抜けていくのを一口ごとに楽しめる。
つまみに静岡のわさび漬け(酒粕でわさびをつけたもの)を楽しみましたが、日本酒とわさび漬けの相性は抜群。特に信濃鶴のような抜けが良い日本酒と合わせるとワサビ漬けの嫌味がなくなります。わさびと酒粕の甘さと、その後にカッとくる辛さを純粋に楽しむことができました。
信濃鶴頑卓を購入した際の山の記事はこちら











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