2022年5月2日、山形県の一大観光地にして東北を代表する霊山である山寺を歩いてきました。
学生時代に教科書で一度は目にする松尾芭蕉の奥の細道の一句「閑さや岩にしみ入る蝉の声」で有名な場所ですが、入場してからその先は登山者でもちょっときつい石段づくりの坂道が延々と続きます。
登山としては若松観音から雨呼山を経由して垂水遺跡へと道がつながる山寺、山体を構築する岩肌には不思議な穴がぽつぽつと開いており、その奇怪な風景が特徴となっています。
関東から山形に遠征する人の中には山寺に行く人もいると思うので、今回は山行がてら山寺ってどんなところなの?
というのを歩きで紹介していきましょう。山形観光二日目、定番の山寺を楽しんでみましょう。
山寺観光概要
早朝の山寺散策
2022年5月2日午前7時25分、山寺。
おはようございます、Redsugarでございます。
GWに入りまして奥さんの実家がある山形へ帰省しているのですが、フルでお世話になるのもどうかということで日によって散歩に行ったり、山に行かせてもらったりという時間を過ごしています。
本日は午前中外に出てきてよいということでしたので、朝散歩で山寺に来ました。
立石寺の開山時間は朝8時からということで……早く到着しすぎましたね。
山寺に登り始めることは出来ないということで、周辺を散策することにします。
天台宗のお寺ということですが、麓にはお地蔵さんや銅像がいろんなところに。
数百体ずら――――ッと並べられた御願い地蔵さん等々、山寺に登る前に周辺を散策すると古刹っぽさを感じるいい場所が沢山。
山寺といえば松尾芭蕉。芭蕉と曾良の2名の像が入り口の近くに置かれているのですが、これを見ると山寺に来た感があります。
残念ながら今はGW、蝉の音は聞こえない。
こちらは芭蕉と共に東北地方を歩いた曾良さんの像になります。旅の工程を調べると二人とも滅茶苦茶健脚だったんだろうなと……。奥の細道では江戸スタートで奥州から北陸道を歩いていますが、2400㎞を150日間で巡っています。
山寺は当初予定にはなく、尾花沢に滞在した際に現地の人々の強い勧めで立ち寄ったということです。
2016年に4代目プリウスが発表された際にテーマ曲として作られた水曜日のカンパネラの「松尾芭蕉」は名曲。
水カンの人文系の曲は歌詞を読んでみると凄い奇麗に歴史がまとまっていたりして面白い。
朝日が差し込む立石寺境内、GW前半はまだ桜が残っていたり。標高が低い地点なので新緑がすごくきれい。
十六羅漢那伽犀那尊者、こけし塚の近くにある石仏ですがこっち側も雰囲気が良いです。
巨大なこけし塚、山寺は山門をくぐって登る前にもいろんな見所があるので、焦って登らずにまずはあたりを歩いてみるのがよさそうです。
午前8時00分、立石寺へ。
開山時間がやってきたのでチケットを購入し、山寺の奥の院を目指して登り始めたいと思います。
山寺参拝、歴史を辿る登山道
山寺の奥の院に向けては石で整備された参道を登っていくことになります。
現在は登山をたしなんでいるからこそ大したことなく登れますが、美術学生だった20歳の頃にここを登った時は本当につらかった……。
登るなら春か秋が良いです、夏は暑すぎてめっちゃつらいし、冬はつるつるな個所もあって気が抜けません。
山門から先には三途の川の渡し場にいる奪衣婆がいる姥堂(六文銭が無いと代わりに服をはぎ取る老婆)があり、そのあとにはせみ柄と呼ばれる休憩所があります。道中は地蔵菩薩が風車、石塔が至る所に立ち、静かな境内の独特な雰囲気を作り出します。
山中他界観的には姥堂から上は浄土になります。山寺は標高が低いので景色が変わりませんが、富士講であれば森林限界を超えた地点から先を浄土に見立てたりしています。ここから先は浄土巡りということでいろんな仏様が安置されたお堂を巡っていきます。
石塔に置かれていたコップの柄をよく見ると山形県名物サクランボ……!こんなところまで気を使うなんて!
山形県におけるサクランボ栽培は明治時代からスタートしています。サクランボ自体が輸入品なのでそんなに歴史が長いわけではないのです。山形県令の三島通庸がサクランボ栽培を奨励し、東根市の佐藤栄助氏が後の佐藤錦を生み出したことで山形のサクランボはブランド化します。佐藤錦は昭和初期にすでに生まれていて、100年近くトップスターなんだからすごい品種。
山寺の石段は登るのがかなり辛いといわれていますが、登山者からすると無心で登っているといつの間にか終わる感じ……かな。途中の見どころをスルーしかねないので、意識的に止まっていくことに。
こちらは弥陀洞と呼ばれるところで、岸壁に塔婆のような形で文字が彫られています。ちょっと引きで見てみるとこの岩自体から阿弥陀如来像が浮かんで見えるらしい。
垂水遺跡のほうに本当に岩に掘られた仏シルエットがある。個人的には裏山寺といえる垂水遺跡が本当にお勧め。
岩肌に近づいてみると小銭が!小銭が埋め込まれている!!
後利益を求めて参拝客が至る所におかねを張り付けていくそうです。
弥陀洞の次に待っているのは仁王門です。1848年に再建された門で、左右に金剛力士像が鎮座しています。
こちらの金剛力士像ですが、かの有名な鎌倉時代の仏師「運慶」の弟子が作ったといわれている……らしい。
運慶自体は奈良の金剛力士像とかは教科書で見たことある人も多いのではないでしょうか。表面的な話だけど平安時代から鎌倉初期、朝廷から武士の時代へと移り変わる中、優雅で気品のある仏像から武士好みの力強い表現へと潮流が写っていきます。運慶は後者に属し、晩年は鎌倉幕府の北条氏関係の作品を多く残したそうです。鎌倉殿の13人でも変な仏像作ってましたね。
仁王門の中にいる金剛力士像は見所の一つ。でも、この門自体も歴史があるものだしディテールを見ていくとなんか面白いものが沢山あるんだよね。
仁王門のすぐ上にあるのは性相院。この写真は性相院から仁王門を見下ろした感じですね、階段がずーっと続くよ。
性相院の本尊は阿弥陀如来、あとは運慶作と伝えられる毘沙門天が安置されているそうな。
あとは、伊達政宗の母である義姫の位牌を安置してともらう場所らしいです。正宗のお母さんって正宗を毒殺しようとしたりするお話の印象が強い……。独眼竜政宗で「白扇を取らせる」の名シーンや、その後の最上家で疲弊しきったところが印象的です。
上まで登り切ると開山堂と納経堂が現れます。この上にあるのが五大堂で山寺駅方面を一望できる眺望サイコースポットになります。開山堂は慈覚大師円仁をまつるお堂です。納経堂が立石寺では一番古いお堂らしく、ここには宗徒による写経がおさめられてるんだって。
眺望サイコースポットである五大堂から見下ろした山寺の景色はこんな感じ。新緑時期だったので萌黄色がとにかく奇麗でした。紅葉時期の山寺はとってもきれいだと思う。
開山堂の周辺にも凄い数のお地蔵さん。奥の院へつながるこの山頂部の道にたどり着くと一気に空気が涼しくなる、風通しも良くて気持ちがいい。
開山堂から山頂方面に向かって進むと奥の院と大仏殿が現れます。奥の院は死者をともらう場所で、山岳信仰的な話にも通じますが、古来人の死後は魂が山を登る。立石寺は死者の魂が登る場所としてあがめられていたそうです。
奥の院の近くの横道を進むと大岩をくりぬいた中に安置された三重小塔があります。
室町時代末期の塔で装飾性が強いんだけどこの手のものでは日本一小さいんだとか、重要文化財指定ということですが凄い所に安置されてますね。
奥の院周辺は茸のような石塔が沢山生えてる。
奥の院まで歩き朝の参拝も済ませたので来た道を戻って下山します。
春もいいけどやっぱり山寺といえば秋でしょうかね、奥羽山脈の面白山から船形山にかけての支脈の山々は標高が低いため全山紅葉することもあり、秋は景色が良いんだろうなと。
ピストンということですいすいと下山する山寺。
午前9時15分、山寺駅前。
メインストリートに降りてくると「幸福の鐘」が目に入りました。まだ観光客も疎らな時間なので、一発カーンとならせていただきました。
ソフトクリームでも食べようかなと思ったんですけど、朝早すぎてまだどこも開店してませんでした。そして奥さんに電話してもまだ帰らなくていいって……とりあえずGWだし、紅葉川渓谷方面に車を走らせてみることにします。
面白山方面でいろいろと時間をつぶして帰ってきたら……庭に大量のコゴミが。近所さんからもらったらしい。
紅葉川渓谷周辺はもう大体伸び切ってたし、この新聞紙の上のコゴミより全然細かったのですが、もうちょっと山奥に行けばいいものがあったんですかね。下処理を手伝った後、奥さんの手により奇麗に茹でられ美味しいおひたしにされました。やっぱり春の田舎はこういうのがあるから良いなぁ。
というわけで春の味覚を最後にいただき、山寺観光は終わるのでした。
午後は家族と一緒に公園で遊んだり……、そして次の日からついにGWの本番戦「佐渡島ドンデン金北縦走」が始まるのです。
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