2024年8月10日から12日にかけて、北アルプス南部にある南岳から槍ヶ岳を歩いてきました。新穂高温泉より入山し、南岳新道を歩き南岳小屋に宿泊。その後、槍ヶ岳を経由して上高地に降りるという東西を横断する形の縦走になります。最高到達地点は槍ヶ岳の標高3,180mとなりますが、この登山の一番の見どころは標高3,033mの南岳から見る穂高岳の圧巻の姿でしょう。
南岳小屋で夜を過ごし、夕日と朝日に彩られる穂高岳の姿は登山をやる中で一度は見たい景色の一つでした。
初日となる10日、南岳新道を登り切りのんびりとした南岳山頂を満喫。ガスが昇る夕方、雲を纏う穂高の一瞬を切り取ることに成功しました。満足感を胸に天の川が見える空の元で熟睡し二日目……、以前ガスガスで悲しい思いをした夜明けの空は静かな青に染まっていました。
という訳で、山の日に歩く槍ヶ岳稜線。そして翌日の超混雑上高地までをお楽しみください。
redsugarこれが山の日……、山の日の槍ヶ岳だというのかッ!?
新穂高温泉から歩く南岳、槍ヶ岳縦走の概要
初日の記事はこちら


南岳から楽しむ穂高の夜明け


2024年8月11日、午前3時00分、起床。
おはようございますRedsugarでございます。
山の日が来てしまいました……、この段階でRedsugarさんは本日が山の日であるという事に気が付いておりません。寝起きのカップヌードルぶっこみ飯を作り、南岳から見る穂高岳の眺望に期待してワクワクしている、という状況です。風は弱く、テントをパタパタと時折たたく音が心地よい朝。


ご飯を食べ終わったらテントを撤収し朝焼けに備えます。3時半くらいから空がゆっくりと明るくなり、4時に入る頃には薄い青紫色の空が頭上に広がります。南岳のテント場からは対面に笠ヶ岳を見ることができます。


日の出前ともなると小屋から、テント場から、ご来光を見ようと多くの人々が南岳の山肌をさまよい始めます。ほとんどの方は穂高をよりよく見える場所を求めて。




南岳から槍ヶ岳が見える場所へ向かってみれば稜線のむこうに鋭利な矛先を思わせる槍の山頂が見えます。
穂高岳は要塞を思わせる岩の城であり、大地から立ち上がるような姿を眺めているとだいだら法師のようです。


午前4時30分、朝焼けスタート。
常念山脈を越えて長野の盆地には雲海が広がり、北アルプスの山中だけ穴が開いたかのように雲がない。東の空からご来光が差し込み、登山者たちの視線は夜明けの訪れを告げる光に釘付けとなります。


一人で夜明けを眺める者。二人で夜明けを眺め言葉少なめに「今ここ」を共有する者。たとえ平地であったとしても、この時間は感情を揺さぶる劇的な時間、山の上であればその力をなおの事強く感じます。


Redsugarはどの辺から穂高とご来光を見ていたのか?というと、南岳小屋がこんな感じに見える場所から見ていました。南岳小屋から少し東側に歩ける道があり、槍ヶ岳が見えるくらいの位置が個人的には穂高の眺めも良い場所になるかなと。


南岳小屋の先にある大キレットの入り口近くの部分で穂高を見る人々。あそこもいいポジションだけど狭くてちょっと怖い、そして右側にある大きな岩があるおかげでちょっと穂高が見えにくい。


ご来光の光が差し込み北穂高小屋の窓がキラリと輝きます。目を凝らしてみれば向こう側でもご来光を楽しむ登山者たち。橙色の光が穂高の岩肌を照らし、激しいコントラストを浮かび上がらせます。


目の前に浮かび上がる朝焼けの穂高の景色は確かに良いものでした。朝焼けという劇的な時間の山の姿は多くの人が「良いものを見れた」と思えるものなんじゃないかなぁ……。ただ、写真で消費されまくった景色でもあるので、僕は景色を眺めつつも一抹の寂しさと言いますか、虚しさを覚えるのでした。


そういえば大キレットを歩く人はいるのだろうか?と目を降ろしてみると……何人かすでに歩いてる。岩山では普通の登山道と聞いてはいて、僕なら歩けるといわれるけど行く気にならないなぁという登山道の一つです。



穂高もそうだけど、岩稜系の登山道全般好きじゃないんです。登る山じゃなくて歩く山がいい。


ご来光からしばらくは光が目まぐるしく変わるため、穂高を眺めていても色やコントラストが変わっていく様が面白い。今日が下山日ではないので、ご来光が終わるまでしばらく見ていることにしました。


空が青くなってくると朝焼けの時間は終わり。夏は太陽が上がる速度が速く、ぐんぐんと天高く光が回っていきますね。すっかり午前の空となりましたが、午前5時くらいです……。


好きな山ではないけれど、穂高の山肌は見ていて飽きません。北穂高小屋に行ったことが無いから、今度行ってみようかなぁ。


ぐるりと山頂に回り込んで出発の準備を整えます。南岳を出発すると穂高岳は山々の一つとして景色に埋没するので、ここで見納め。


朝の快晴の中この稜線を歩きたいと思って日程を組みましたが、狙い通り晴れてくれました。
つまりは山の日快晴ということで、画面奥に見える槍ヶ岳は凄まじい混雑っぷりを見せるという事でもあります。



この時点ではそんなことを知らず。ただただ中岳、大喰岳の稜線を歩けることの喜びを嚙み締めていました。この稜線だけは本当に歩いていて楽しいのよ。


午前5時30分、南岳出発。
約1時間、ご来光をがっつりと楽しみました。南岳から穂高を見るという目的を達成したので今日はもう槍ヶ岳に登らなくてもいいかな?というくらい満足していますが、大喰岳の稜線は歩きたいので出発することにいたします。
ちなみに今回の登山は日程に余裕があるため、下山日が明日。本日は徳沢のキャンプ場を目指して歩くことになるのでゆっくり目に歩いても大丈夫という素敵なコース配分となっています。
快晴の3,000m稜線歩き


南岳から槍ヶ岳まで続く稜線の標高は約3,000m。こんな高い場所を何時間も歩くことができる場所は国内見渡してみてもそう多くはありません。思い浮かぶところで南アルプスの北岳から農鳥岳へ向かう稜線などでしょうか。
北アルプス南部の槍穂高に関しては氷河の浸食で山肌が削られ、硬い岩だけが残った氷食先鋒が特徴的で、か細い稜線を歩く山行は天空を渡るようです。


硬い岩だけが残された極地というイメージがある場所ではありますが、足元を見れば高山植物に彩られ夏場は様々な花を楽しみながら歩くことができます。花を愛でる余裕を持てるほど、道に余裕があるのがこの稜線。


南岳を振り返ると穂高の山々は景色の溶け込み、連なる山々の一つになってしまいました。かろうじて前穂高の山が見えますね。


槍ヶ岳方面に目を向けると、3,000m級の稜線が氷食尖峰らしい姿をした槍ヶ岳に向かって伸びているのがよくわかります。この槍ヶ岳から穂高連峰を結ぶ山脈は常念山脈に阻まれることで松本平から見ることができないので、人々が今のように山々を認識できたのは近代に入ってからという事のようです。
同じく3,000m級の山である御嶽山などは702年に役小角が登ったとされ古代から度々文献に登場することなどと比べると、山中奥深くにあった槍穂高は長らく秘境だったようです。



今は北アルプスと言えば槍ヶ岳、穂高岳というくらいメジャーになってしまった、その落差は凄まじい。


写真で見ると中々どこを歩いて行くのかわからない稜線地帯。3,000mという環境は夏真っ盛りの8月であっても雪が残っています。


稜線の所々で登山者がザックを降ろし、稜線からの眺め、ゆっくりとした時間に身を置いています。山歩きをしている人に是非読んでほしい名著「歩くという哲学」を目にすると、車の音も話し声も聞こえない、風が頬を撫でる音や鳥のさえずり、大気の鳴動をただ感じるだけの名を持たぬ身体になることの快さを感じるためだけに山を歩きたくなります。



歩くことを楽しむにはこの稜線は自分にとって最高の場所の一つ。


この稜線ならいつまでも歩いていたいと思わせてくれる道が続きますが、徐々に槍ヶ岳が近づいてきます。


南岳から横一線に、ゆったりと伸びる登山道が官能的ですらある。この登山の一つ前に裏銀座を歩き、どこまでも続くような長大な登山道を楽しみましたが、それとは違う濃密な時間と言いますか、歩きごたえがこっちの道にはあります。



裏銀座はとにかく長くて、無心になって歩くことを続けることで自然と一体化するような、そういう道です。こっちはね、歩くという事にすごく集中することができるんです。すると真ん中だけが見えるようになって、耳には音が透き通る様に飛び込んできて、気が付けばたくさん歩いている。(早口


中岳の正面までやってきました。氷河で削って削って削られた末に残った岩と石の山、そんな姿をしているのが中岳です。南岳、大喰岳と比較するとのっぺりとしたなんとも特徴が無い奴みたいに見えますけど、中岳から大喰岳までの稜線歩きは高揚感に包まれる幸せな道が続くんですよ(当社比です)


青霞んでいた槍ヶ岳の影が徐々に濃くなり、中岳を越えれば残りは大喰岳を残すのみとなってきました。今この瞬間も、槍ヶ岳山頂には多くの人が居るのでしょうか?


電子レンジくらいの石が積み重なる中岳の山肌。どこを登れというのか、そんな景色が広がりますが、写真の外からぐるりと回りこんで稜線にたどり着きます。朝の陽ざしをその身に受けてのっぺりとした、遠近感を失った姿が抽象画的で素敵です。




午前7時35分、中岳。
南岳から槍ヶ岳までを結ぶ稜線の中間地点がこの中岳となります。山頂からの景色は抜群で、南側には北穂、奥穂、前補と穂高の山々を南岳以上に楽しむことができます。北を見れば大喰岳まで続く一本道のむこうに槍ヶ岳と、高揚感に包まれる稜線を見ることができます。


穂高方面を見ると岩の稜線のむこう側に構える穂高がいくつもの城の集まりみたいに見えますね……ここから見ると穂高が2倍くらい大きく感じるから不思議です。


中岳から注目してほしいのはこの大喰岳まで続く稜線でしょう。歩くと1時間もかからずに過ぎ去ってしまうこの道が南岳から槍ヶ岳へ向かう道中のハイライトとなります。


中岳から鎖を降り、大喰岳へ向かう鞍部へと降り立ちます。中岳を振り返るとあののっぺりとした姿が失われ無個性なピークがあるだけ……中岳は南岳側から見る山ですね。



この後なんですが、あまりに歩くことが楽しくて大喰岳の山頂手前まで写真がありませんでした。不覚ッ!!


右手に常念山脈、左手に笠ヶ岳双六と天秤のように手を広げながら稜線を楽しみ。大喰岳の山頂手前までやってきました、ここもまたアドレナリンが脳内であふれ出るような景色を楽しむことができます。
岩が積みあがった山頂の丘のむこうに槍ヶ岳山頂が顔を覗かせるのです。まるで怪獣がビルの奥からこちらを見るかのような眺め、槍ヶ岳は登るまでの工程が楽しい。


午前8時15分、大喰岳。
槍ヶ岳を目の前にする名峰大喰岳へやってきました。槍ヶ岳よりも槍ヶ岳がよく見える大喰岳のほうが私……好きです。槍ヶ岳の肩に建造された小屋の周りでは人々が動き回り、着々とテントが設営されていく様がここからでも手に取るようにわかります。そして……、めちゃくちゃ登山渋滞してない??なんか蟻の列みたいの見えるんだけど??と首をかしげるような景色。



いい景色だなぁーーっ!と思っていた中に、ほんの少しだけ疑問の芽が生まれ出る。それは数十分の間に後悔の大樹へと育っていくのだったッ!!次章、登山渋滞!槍ヶ岳に沈むッ!!



ジーザス!なんて日だッ!!
山の日の槍ヶ岳、登頂狂騒曲。


大喰岳から歩いてきた稜線を振り返りましょう。写真の一番左、穂高に連なるような感じに見えるピークが南岳、そこから穂高に重なるように中岳となっています。中岳からみた大喰岳の稜線は逆から見ると迫力に欠けるから不思議だ。


3,000mに吹く風は真夏とは言えども軽やかで、今にもステップを踏みたくなるような快さがあります。照り付ける日差しはフォークの先端が皮膚に刺さる様で、肌はだんだんと熱を持っていくのですが、風がそれらの苛立ちをすべて拭い去ってくれます。この稜線を歩くことはそういう快さに身体を浸すことが目的なんじゃないかと思うくらい。


稜線から見下ろした先には殺生ヒュッテ、すでにテントがいくつか設営されていますね。槍ヶ岳の恐ろしさなんですが、テント場がいっぱいになった状態で小屋に来ると「殺生に降りてテントを張ってください」と言われることです。
あまり聞いたことはないんだけど、殺生でも張れない場合は槍沢まで戻されたりするのだろうか?



この日の下山のタイミングでは、上は満員なので殺生でテント張ってくださーいと声をかけないといけない事が結構多かった。


槍ヶ岳山荘へ向かう登り口は槍平から登ってくる道との合流地点にもなっています。前日南岳新道を歩きましたが、写真に写る道を歩けば初日に槍ヶ岳山荘まで行くことは十分に可能です。






槍ヶ岳山荘のテント場はそこまで眺望が良いわけではないかなと思います。目の前に見えるのは饅頭のような形をした大喰岳で、槍ヶ岳は山頂だけが見えるというもの。僕的には、ここは景色を見るために訪れる場所ではなく、槍ヶ岳山荘のテント場で寝るという目的のために訪れる場所かなと。ここにテントを張るという事自体が誉のような場所。



ここでゆったりとした時間を過ごすのは楽しいでしょうね、風は強そうだけど。






午前8時50分、槍ヶ岳山荘。
槍ヶ岳山荘に到着しましたが、夏の晴天の日ともなれば「すごい人、人多すぎ」という感じです。山の天気予報を契約していたり、槍ヶ岳のライブカメラを見ている方ならわかるかもしれませんが、晴れている日の槍ヶ岳のライブカメラには多くの登山者の姿が写ります、それだけ人の訪れがある場所。ただ、今日は人多すぎない?
とりあえず贅沢してCCレモンとネクターで今回の登山の目的達成を祝います。



本日は山の日、なんかめちゃくちゃ人が多いな……?と思っていたのですが、やってしまった……。槍ヶ岳山頂に登るなんてやめておけばよかった!と思えるのはこの直後でした。


せっかく来たし登っておくか……槍ヶ岳。という感じで山頂を目指すことにしました。まだこの時点では人影も少なく空いているように見えたのですが……。



まぁ、山頂の往復は以前の登山でどんなもんかわかる、登ってすぐに降りれば1時間程度だろう(謎の余裕)






少し岩場を登った時点で登山渋滞が発生していることに気が付きます。そしてそのタイミングではもう引き返すことができなくなっていました、下山路側に移って降りてもいいんだけど、サンクコストの呪縛が身体を縛り付ける。
上のほうからは叫び声のような怒号と悲鳴が聞こえてきます、耳を澄ませて聞いてみれば……山登り経験が浅いファミリー登山客のパパが奥さんか娘さんを励まし、女性がそれに対して怒りの咆哮を向けている感じでしょうか。



この登り道は本当に怖かった……、ここは富士山じゃないのよ……。


槍ヶ岳で高い場所に慣れてない人が嫌がるのは最後の梯子でしょうか。その手前の刺さっているボルトを支持体として登っていく場所のほうが怖い気がするけど……、梯子で結構詰まっているらしく喧嘩する声が何度も聞こえてくる登山渋滞でした。




前後の登山者とする世間話もネタが尽きてきた……、というタイミングでようやく梯子へ。一人上がったら一人取り付いて、みたいな感じじゃなくてみんなが次々と登っていくのが見ていて恐ろしい。曇っちゃいましたね、とかそういう事を言っている場合じゃない。


午前9時45分、槍ヶ岳山頂。
結局登りに1時間程度の時間がかかりました……。山頂にある祠と看板までも渋滞しています、みんな写真が撮りたいんだな。槍ヶ岳山頂にある祠と登山者を眺めていると、槍ヶ岳って消費されすぎてて笑えない。
山頂の画像が登頂のバッジという形で流布していくその在りように気が付いた時、とても居心地が悪くなってしまいました。



消費の対象となった景色を見るのは心苦しいものがある。と言いつつもこうして記事を書いたり、書籍に寄稿して小銭を得ているという矛盾があるのだけど。みんな楽しんでるならいいんだけど、人が多いというのは悩ましい。


山頂から見下ろすことができる景色の一つに小槍があります。アルプスいちまんじゃくの中に出てくる小槍です。20番以上あるといわれる歌詞を進むごとに昭和の山男の生きざまや価値観、醜さが醸し出されるあの歌です。
そんな小槍をクライマーの方々が降っていきます。



哀愁漂いつつも、後半山頂で小便する輩なんだよなぁ……この歌詞。
9:蝶々でさえも 二匹でいるのに なぜに僕だけ 一人ぽち
11:山のこだまは 帰ってくるけど 僕のラブレター 返ってこない
20:命捧げて 恋するものに 何故に冷たい 岩の肌
27:槍の頭で 小キジを撃てば 高瀬と梓と 泣き別れ
何度見ても27番の描写がひどい。


槍ヶ岳の山頂には小さな祠があり、槍ヶ岳山頂を示す看板が立てかけてあります。歴史をさかのぼれば播隆上人の開山が起源となる祠、今となっては大多数にとってそれらの事象を想起させる記号ではなく、槍ヶ岳山頂に立ったという勲章のイメージとして流布しているんじゃないだろうか。



なんか、せっかくだから1時間くらい山頂に滞在してみようかな。


写真を撮影してらそそくさと下山していく登山者の往来が激しい山頂ですが、居場所が無いわけではありません。似たことを考えているのか空を見ながら座っている方の隣の場所を借りて、暫く山頂の空気を吸わせてもらうことにしました。槍ヶ岳山荘から登ってくる人もそろそろ減ってきた感じがするけど……、山頂の人口密度は高い。


硫黄尾根のむこう側には裏銀座の山々。硫黄尾根はゴジラの背のようで人が歩けるような場所ではないけど、アルパインの方々が残雪の時期に入山し楽しんでいるようです。


一直線に伸びていく西鎌尾根。腰を付けて目の前の景色に集中したり、目を閉じたり。
後ろでは数分おきに槍ヶ岳山頂と誰かの新しい画像が生成されていたり、あらゆる感想の言葉が宙を漂います。ここまで歩いてきた道中を振り返るには山頂はいい場所です、いい場所なんだけどやっぱり落ち着かなーい。


北鎌尾根の独標方面、数人の登山客が歩いているのがわかります。毎年遭難事故のニュースが流れる北鎌尾根ですが、見下ろして見ていても不安定な岩と石の上を歩き続ける場所というのがよくわかる。





あんなところを歩くのか……というか登るのか?
この直後、北鎌尾根から登ってきた方が山頂にとりつこうとしたその瞬間でした。手にした岩がゴロンっと取れ、衣類乾燥機のようなサイズの岩が斜面を落ちていきます。北鎌尾根から登ってきた登山者はとっさに横っ飛びして何とか難を逃れましたが岩の斜面に身体を打ち付け、山頂直下でしばらく息を整える事態に。
山頂にいる登山者は自分も含めロープなどもないため見守るしかないという……。


北鎌尾根から登ってきた方はやや興奮気味に「前はあの石動かなかったんだけどなぁ!」「買ったばかりのストームゴージュが破れちゃった」と話しながら山頂へと登ってきました。大丈夫と気丈に振舞ってはいたけども、みんな気が気じゃない。






午前10時50分、槍ヶ岳山頂出発。
1時間も山頂に滞在したことで、なんかいろいろなことが……。徳沢に行くにしてもそろそろ出発しなければ夕方に到着できなくなるため山荘へ。登山渋滞は続いていましたが、下山はスムーズに進みました。



滑落の瞬間みたいなものは、見ているこっちがぶっ倒れるかと思った……。アルパインは絶対にできないわ。
風呂がある幸せ、徳沢のテント場を目指す


午前11時35分、山荘出発。
山荘に降り立った後、山頂での滑落未遂の目撃の影響もあり暫く状態を整える必要がありました。見ている側もああいうのは身体に悪いものだ……。山荘の裏に行ったり表に来たり、ぐるぐると歩いて落ち着いてきたところで徳沢へ向かって下山開始です。


山頂を見てみれば天につきだした硬い岩に無数の人が。いまだに登山渋滞は激しく、登るにはかなりの時間を要しそうです。山頂ではいまだに数分おきに記念写真が生成され、それがネットに放流されていくのだろうか。みんなそのために登っているわけではないと思うけど……。



居場所や行為を人に伝えて反応を得ることが主目的になってしまった感じがある現代だが。山歩きに関してはもっとそれとは別の、土、岩、風、登る際の体を通して自分自身の肉体への信頼であったり、外からの称賛に頼らない体感的な強さを蓄えれる側面もあるとは思う、そういうものを大事にしたいところ……。こんなブログ書いてるけど。


さて、槍ヶ岳山荘からは殺生や大槍のヒュッテが見えます。巨大な槍沢カールを降って徳沢を目指します……すげぇ遠いのよね。この記事を書きながら思いますが、次回やるなら上高地側じゃなくて双六か槍平に降ります。
ちなみにこの時点で槍ヶ岳山荘のテント場は満員となっていて、テント泊希望者は殺生へ降りるように指示されていました。槍ヶ岳山荘のテント場が欲しければ11時までに来る感じかなぁ……。



山の日周辺の上高地は……上高地は人が多すぎるんですッ!!


殺生ヒュッテまで下ってくると結構な数のテントが張られています。80張くらいの余裕があるとは聞いていますが、この日は耐えれたんだろうか?


上高地方面から横尾地獄を抜けて続々と登山者が登ってくる槍沢。テント装備の人には槍ヶ岳山荘はもう満員と伝えながら降りる。


東鎌尾根へと登るつづら折りの登山道。まだあそこは通ったことが無い。大天井から槍ヶ岳に曲がったことが無いんですよね、一ノ沢から中房温泉へ歩いて行っちゃうから……。


槍沢から見上げる槍ヶ岳はこちら側に倒れてきそうで怖い。


午後12時30分、播隆窟。
槍沢の小屋を目指す途中に現れるのがこの播隆窟です。ほとんどの登山者はスルーするでしょうけども、槍ヶ岳開山の歴史を今に伝える史跡として見ておいて損はないかなと。播隆上人は伊吹山禅定、槍ヶ岳開山、穂高岳登拝の伝説が伝えられています。
この場所は播隆が槍ヶ岳登山をした際に50日間ほど滞在した場所となり、ここで念仏を唱え晴れた日は山頂に登ったのだとか。



現代でもこんなところで50日を過ごすのは凄まじい所業と思えるが、江戸時代に2か月近く山中に留まるなんて……。食べ物もここじゃそんなに採れそうには思えないけど。




播隆窟には説明のプレートが付けられていますし、お地蔵さまも奉納されているのでわかりやすいんじゃないかな。
小屋の人の記事を調べてみれば坊主岩小屋とも呼ばれることがあるそうです。


播隆窟を過ぎれば緑が再び深まってきます。目指す徳沢はまだまだ遠い……上高地方面の登山道ってとにかく長いのよ。






このままのんびり歩いていては徳沢に到着するのが夕方になってしまう。そう思いカメラの電源を切り、歩くことに集中することしました。着々と標高が下がるにつれて気温が上がり、にじみ出た汗が服に白い模様をつけていきます。




午後2時30分、槍沢ロッジ。
水、水が欲しい、暑すぎる……。3,000mの稜線を歩いていた時はあんなにも涼しかったのに、槍沢に降ってきたらもう暑い。ここもまた人と言いますか、ツアー客でごった返してる槍沢ロッジ。建物の外では沸かし風呂を心待ちにしている方々が酒宴に興じている姿、鳥の声、森と風が奏でる葉音をつまみに飲む酒はさぞかし旨いのだろう。



疲れ切った身体に染み渡るポカリスエットの味も負けてはいない。


槍沢から先は川沿いの、遊歩道のように整備された道を歩き続けて横尾を目指します。急ぎでなければ時間をじっくりとかけて歩きたくなる素晴らしい森の小路。川のせせらぎと森の音を聞きながら歩く身体ど大地の対話を楽しめるところでしょうけど、急いでるんです……。






午後3時40分、横尾。
川沿いの道は近年の気象の激甚化の影響がもたらした大雨で崩壊しているところも多く、高巻きに付け替えられた場所がいくつかありました。これから毎年、通れない瞬間がやってくるんだろうな……。登山道を整備してくれるのは自治体ではなく小屋の人々です、本当に頭が上がりません。



そんなわけで横尾までやってきた……。横尾の小屋の前ではレスキューの人が骨折した登山者の介抱をしていました。夏の穂高は観光からアルパインまで、死が思いのほか近い場所だよなと改めて意識させられます。





小屋にたどり着いたら飲み物を買う。けどまぁ……横尾から徳沢までは散歩みたいなもんだから小さいサイズでいいか。






午後4時30分、徳沢。
横尾に張られた大量のテントを脇目に徳沢を目指しました。15時を回っているというのに結構な人が歩き回っているのが驚き、夏の上高地~横尾間って観光客が暗くなっても歩いてんだなぁ……。
横尾から徳沢までは多少舗装路もあるくらいで、非常に歩きやすい道が続きます。感覚としては「こなすだけ」という道で、作業的に歩いていれば1時間ほどで終わります。



という訳で徳沢に到着。テント場の受付をした後は……まずソフトクリームで南岳新道から槍ヶ岳区間の登山を祝いました。




ソフトクリームを食べながらテントが張れそうな場所を探します……。徳沢ってこんなに混んでるものなのか?と思わされるほどのテントが視界を埋め尽くしていて、場所が無い。小屋から少し離れた森との境目にあった隙間に何とかソロテントをねじ込むことができました、これが山の日の徳沢……。
まぁ、とりあえずほぼ下山できたのだから、ここまで残してきたビーフジャーキーで酒でも飲みますかね。



キャンプ場ではTJARの状況をライブで見ている人々もいて、24年1位の土井さんが夜にはここを通るのではないかと話題になっていました。
実際、夜うるさくて起きたら土井さんが走って抜けていくところでした。




なんで今回の登山で横尾じゃなくて徳沢を選んだのか?と思う人もいるかもしれません。Redsugarは汗っかきなので風呂に入りたいのです、テント泊でも風呂に入れる場所を探すとそれが徳沢だったのです。
期待を胸に徳沢の風呂に行ってみたら……沸かし湯かつ凄い人数はいるから結構湯舟があれだね、アレな感じだね。うーん、これは次回からは横尾で行水すっかなぁーー!と思える感じでした。山の日だからかな、人が多すぎなんだよ。



風呂に入ってたら槍ヶ岳の山頂で危うく滑落しかけた方が。体が痛むのか、フラッシュバックなのか、湯船の中で目をつぶって震えていたのが印象的でした。今日のうちに上高地に行くと言ってたけど、やっぱりダメージがあったんだろうな……。
夏の山岳リゾート上高地への帰還






午前5時00分、徳沢キャンプ場。
おはようございます、Redsugarでございます……。徳沢で朝の4時くらいに起きまして、出発の準備を始めて1時間ほどが経過いたしました。キャンプ場は賑わっておりまして、出発する人が居てもまだテントはたくさん並んでいます。
テントの数ですが、200張は絶対あったと思うんだよね。



トイレがヤバかったよね……仮設もすごい並んでたから小銭握りしめて有料のほう行ったもん。


徳沢から上高地までは林道を歩き続けるのみとなりますが、登山者に紛れてサルたちが移動していきます。サルと人間の距離が近すぎる感じがするんだよな……、観光客が餌付けしてそのうち事故が起こるんじゃないだろうか。
ちなみに上高地周辺ではそういった野生動物へ人間の食べ物を与えることは禁止されています。


午前7時00分、明神橋。
涸沢へ向かう人々、涸沢から帰ってくる人々で賑わう明神橋です。本日も朝は快晴という事で明神岳がクリアに見えます。ここからは見えないけど、明神岳を登っているアルパインの人が居るんでしょうね今日は。






いつもスルーしてしまう明神の穂高神社へ行ってみることにしました。今日は上高地に下山するだけだから遊歩道側から歩いてみようかなと。朝の穂高神社ですが明神池を一目でも見ようという観光客の方々が続々と集結しつつあります。



僕は明神池をスルーして木道を歩いて上高地へ。


遊歩道側は結構アップダウンが激しいのだなと思わされる道でした。ここは散策路として確かに面白いかなぁ、家族と歩くならこの道ではないでしょうか。


遊歩道側は上高地のバスターミナル側ではなく、岳沢湿原へと出ることになります。なんで穂高神社から遊歩道へ?というと、せっかくなら岳沢の水を見たいなと思ったから……。焼岳を見てみれば雲一つない晴天ですわ。




岳沢から流れてるく清流と善六沢が合流する地点にある岳沢湿原。立ち枯れした木々が特徴的ですが、調べれば大正池も昔は立ち枯れした木々が水中に林立していたらしい、この木々もそのうち姿を消してしまうのでしょう。



一万二千年前の縄文時代草創期、焼岳火山群の一つ白谷山火山の噴火の影響で古上高地湖という巨大な湖がこの一帯には形成されました。現在の釜トンネル付近から徳沢付近までが古上高地湖だったのだとか。
古上高地湖は六千年ほど豊かな水を湛えていたそうですがその後、地震の影響で流出口が崩壊し安曇野の豊科や松本方面へ水は流れてしまったそうです。


岳沢の湿原を見た後はすでに多くの人で賑わう河童橋へ。梓川沿いにはすでに人影が見え、今日も大賑わいを予感させます。


河童橋から上高地バスターミナルへ向かい、バスで帰るんでしょう?と思った方も多い事でしょう。しかし、昨日風呂入ったけどあんなん風呂って言わんわ、ちゃんと温泉で汗流して帰る!!というのがRedsugarという男です。
そう、上高地温泉ホテルを目指して歩いていたのです。



夏とはいえ梓川って滅茶苦茶冷たいのに行水してる輩がいる……、すげぇな。


上高地温泉ホテルの手前から見る清流梓川、本当に水が綺麗な場所ですね。






午前8時30分から9時00分まで、上高地温泉ホテル。
朝風呂ってやっているのか??と疑問に思う方がいらっしゃるかと思いますが、営業時間は2部制で朝風呂は7時から9時まで。昼営業は12時30分からとなっています。朝風呂を目指して歩いていたのですが、穂高神社と岳沢を経由したら結構ギリギリの到着になってしまいました、危ない。
湧き上がる温泉で全身を清め、さっっっっぱりとして、服も着替えたら朝の10時前からビール!!!



午前中に飲む酒ッ!!!文明の中で見に刻まれた時間の感覚ではなく、身体に眠る野生に従い自分の時間を刻む開放感よ。


気が付けば空には雲が湧いてきました、観光客もどこからこんなに湧いたのだ?というくらい川沿いに人、人、人。
オーバーツーリズム気味なのは間違いない上高地を足早に抜け出します。




午前9時25分、上高地バスターミナル。
風呂を上がる、ビールを一気に飲み干す、20分で上高地高原ホテルからバス停へ移動。風呂屋からバスターミナルまでの移動は自分でもかなり早かったのではないかと思う。とにかく人が増える前に抜け出そう、という事で松本へ向けて出発です。




上高地から松本へ、新島々バスターミナルでバスから電車に乗り換えて松本駅を目指します。
ちなみにですが、新島々バスターミナルって夏は滅茶苦茶並ぶじゃないですか?そんな時にお勧めしたいのがバスターミナルから2分ほどの場所にあるソフトクリーム屋さんです。知らない人も多いと思うのですが「森の隠れ家ソフトクリーム」というお店があります、夏に電車待ちをしているときは訪れてみてください。




松本駅到着後ですが、ちょうど時刻はお昼時。ご飯を食べて帰ろうと思えど「カウンター焼肉じゅうじゅう」さんは営業前です、松本駅周辺でラーメンは無い、となると焼肉……ホルモン屋でいいやという事で一人ホルモンを楽しみました。



海州さんはリーズナブルな価格でホルモンを楽しめるので、下山後のお昼ごはんにはおすすめです。


昼食を味わった後は松本駅から特急で東京へ……、明るいうちに埼玉の自宅へと帰る事が出来ました。こうして夏の日北アルプス南部登山は大満足で終了。次回以降の改善点があるとすれば、上高地方面に下山するんじゃなくて新穂高方面に下山しよう、という事でしょうか。



以上、夏に歩く南岳、槍ヶ岳でした。










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