2024年12月7日、栃木県足利市にある行道山から両崖山をつなぐ「足利アルプス」を歩いてきました。
最高峰である行道山は標高441m、両崖山は標高251mで関東平野を見下ろす景色が特徴な冬にお勧めしたいコースです。
12月は標高が高い山では雪が舞い降り雪山シーズンになりますが、雪が降らない関東の低山は一番快適な時期だったりします。12月から4月までは里山が楽しい、低山トラベルシーズンなのです。
今回歩く行道山は中腹に栃木県の名勝地第一号である行道山浄因寺があり、境内では美しい紅葉を目にすることができます。葛飾北斎が描いた橋もあるなど、歴史に興味があるなら訪れて楽しいに違いありません。
そして、行道山バス停から足利駅まで約9キロと程よい距離であるため、日の短い冬のハイキングにはちょうどいい山なのです。関東に住んでいるなら冬の里山ハイキングには是非お勧めしたい足利アルプス。登山雑誌「山と渓谷」でも紹介記事を書かせていただいた行道山から両崖山へ向かう山中と、登山後の観光含めてご紹介したいと思います。
redsugar足利アルプスは名勝が多く、観光と山登りを同時に楽しめる良さがあります。冬の休日にぜひご一考ください。
行道山日帰り登山の概要
関東の高野山と呼ばれた浄因寺を目指して




2024年12月7日午前6時10分、久喜駅
おはようございます、Redsugarでございます。
午前早朝目覚めの午後ティー、甘みはばっちり脳みそ冴える。というわけでJR線に揺られて埼玉は久喜駅へ。
そこから東武線に乗り換えまして利根川を渡り東武足利市駅を目指します。



寒くなってきましたね。電車で移動する登山が楽しい時期ですが、朝起きるは大変です。


早朝の東武線に乗客は少なく、流れていく埼玉県北部の景色を写真に収めながら電車に揺られます。
利根川を目前にして、住宅街には大きなソーラーパネルが現れました。山を切り開いてメガソーラーを無理して作るなら、こういう場所にパネルを敷き詰めてくれたほうがなぁ……と思う。




ソーラーパネルは視界の右から左に流れていき、巨大な利根川が姿を現します。
江戸時代、徳川家康が東京湾に注いでいた利根川を鹿島灘へ注ぐよう曲げる治水工事を行った結果が目の前の景色。
夜明けに照らされる北関東のなんでもなさそうな景色をぼーっと眺めながら、身体は足利市へと運ばれていきます。



利根川東遷に関しては門井慶喜さんの「家康江戸を建てる」を読むのが良いです、読みやすく面白い。伊奈忠次・忠治の兄弟から始まり孫の忠克の代まで、50年以上続いた東遷事業。鹿島灘へ利根川が通る、忠克が藍の川・渡良瀬川・利根川・常陸川すべての水が入り混じった水で先祖の墓を洗いたいという言葉には涙が浮かんできます。
江戸版下町ロケットみたいな本なんですよ。


午前7時35分、足利市駅。
北関東は足利へ降り立ちました。日本史で必ず習う足利氏の拠点だった町です。訪れた24年は渡良瀬川にかかる橋の付け替え工事を行っていたため、駅前では巨大な堤防と河川敷が建設中でした。



えぇ!?これ対岸までめちゃくちゃ距離あるぞ!?


渡良瀬川にかかっている中橋はシンボルだそうです。今回歩く行道山は橋の向こう側になります。
というか、かつての足利氏の住居であった鑁阿寺、日本最古の学校足利学校など観光地は橋を渡った北側にあります。



バスは東武足利市駅から出ています。橋を渡ってJR足利駅まで行く必要はないから安心して。






午前8時10分、東武足利市駅前を発車する「あしバスアッシー」に乗車して行道山を目指します。登山ブログを書いている人で僕くらいの世代の人はみんな「アッシーって昔……」という話をしてる気がする。平成中期、車を出す人をアッシーって呼ぶ文化がありました。



アッシーのいいところは一律210円で乗れるところです。市の補助のおかげだと思いますが、登山客としても本当にありがたいばかり。


午前9時00分、行道山バス停。
終点となる行道山バス停で下車したら登山開始です。




バス停からは舗装された参道を登っていきます。行道山と書かれた石柱が道の左右に建てられているので、そちらを追って歩きましょう。


境内と書かれた石柱を過ぎると道は深い森へ。それまで冬の朝の爽快な日差しに覆われていた景色は一変し、薄暗く静かな道へと様変わりしました。


杉の植林地帯でありながら、所々に紅葉した木の葉が浮かび上がります。




境内を進んでいくと山の斜面にいくつものお地蔵様が立っていることに気が付きました。急峻な崖の斜面にも、いったいどうやって?と思うような仏像の数々。異界のような空気が漂い始めます。


浄因寺へと繋がる階段は乾燥した時期だというのにじっとりと濡れていて、山が蓄える水が存在を主張しているかのよう。青暗い森を見上げると黄色く染まった木々が立ち、薄ら寒い空気に暖を与えてくれる。


階段の中腹には東屋があり、染め上がったモミジとうねるような杉の枝が枠の中でせめぎあっています。
光が弱いこの時間、まるで時が止まったような景色……音もない。


関東の高野山と呼ばれた行道山。参道の崖を見上げるといくつもの石仏に囲まれていることに気が付きます。弘法の墓所にして歴史に名を遺す人々が墓を建てたあの高野山に例えられるということは、行道山にも冥界としての墓所があるのでしょうか?



浄因寺から行道山山頂へと至る途中にある寝釈迦、そこが墓所や霊場となっているそうです。規模はそんなに大きくはありませんが……、一応冥界がある。
名勝浄因寺から行道山を歩く


午前9時40分、浄因寺。
薄暗い参道を歩いていくと急に景色が明るくなり、それまでの重苦しい空気が一気に取り払われていきます……山門です。



行道山の山門から空気が変わった……!!




山門のすぐ裏で落ち葉に埋もれ、頭だけがかろうじて見える庚申塔。その周囲の山肌には数多の石仏がひしめいています。行道山は今から1,200年前、和銅6年(713年)に行基上人によって開かれたとされ(行基は奈良の大仏にまつわる方ですね)室町時代に法徳禅師が禅寺としました。その後、学問の道場として修行僧が多く集い関東の高野山と呼ばれるに至ったそうです。



参道から山頂にかけて3万3千体といわれる大小の石仏と寝釈迦があったんだとか、そんなにあった……か?


石仏で賑わう山門付近を過ぎると、色とりどりの紅葉が景色を彩る浄因寺へ。まず目に入ってくるのは真っ赤なモミジと黄金色のイチョウに囲まれた東屋。


入口に掲げられた半鐘越しに紅葉を見ても見事なもの。


境内を一通り歩いてみて、一番目を引くのは清心亭にかかる天高橋と紅葉の景色でした。天高橋と呼ばれるこの橋は近代的な素材に更新されていますが、江戸時代に葛飾北斎が「足利行道山雲のかけ橋」で描いたものと同じ場所に掛かっているはず。見上げた景色に思わずため息がもれます。



北斎の絵ではデフォルメが効いているので実物とはだいぶ違うと思うけど、ここに来たというのは間違いないんだろう。同じ場所を訪れていると思うと不思議な気持ちになる。昔は山の木々を燃料にしていたこともあり、里山ははげ山が多かったという。くものかけはしも岩が目立つ、もしかしたら行道山も今より木々が少なく、岩が目立つ山だったのかもしれない。


足元に目を向けると、黄色いイチョウの葉が地面を埋め尽くすように「敷かれている」という有様。


境内の中心にあって、最も目立つ紅色の紅葉。駆け上ってゆく太陽の光を受けて不死鳥の如く輝く。


本堂に参詣を済ませたら登山道へ戻り行道山を目指す。その道中に清心亭を見下ろす景色が現れるのですが、くものかけはし的な光景に思わず目が釘付けに。現代では、清心亭の隣に見事な黄葉を魅せるイチョウの巨木が浄因寺のシンボルとして立っています。






浄因寺から登山道に戻ると、首が失われた石仏をいくつも見かけることとなります。登山者なのか、お寺の関係者なのか、首には真新しい石が置かれている。



首がないままほったらかしにするのは余り心地の良いことではない、という気持ちはちゃんと生きているのでしょう。


ゴツゴツとした岩が目立つ山肌の道を上り詰めると、奥の院でもある寝釈迦に到着します。




寝釈迦にはその名の通り横臥した釈迦の石像があるのですが、その周囲は夥しい数の石仏で埋め尽くされています。石仏の数は49院とされ、行基上人が分骨入定された聖地だそうです。
稜線にあり日当たりもよい寝釈迦には冥界のような暗い雰囲気は微塵も感じられず、透き通った冬の空気と筑波山まで見渡せる心地よい景色だけが広がります。


見下ろす景色の先には足利の山間の里でしょうか。写真の真ん中あたりが行道山のバス停があった場所のようです。



北関東道が見えるはずなんだけど、どれだ……??






午前10時35分、行道山。
山門から1時間ほどで行道山の山頂に到着しました。山頂には東屋があり、見晴らしもよいため休憩するにはいいところでしょう。気にはしていなかったけど、栃木百名山らしい。


山頂の東屋の近くにはいくつかの祠。北向きの祠の中を覗いてみると日光男体山と書かれた札が入っていました。二荒山神社にまつわる修験の方がここに収めたということのようです。



祠や鳥居の向きにも意味があり、北向きは「北向き地蔵」と名前が付くようにあまり見かけません。この祠に関しては日光男体山のほうを向いているようです。


山頂から一番きれいに見えるのは赤城山です。ギザギザとした赤城山ですが、横に長くこんなに大きな山だったのかと思わされます。日本で一番裾野の大きい山は富士山ですが、二番目は赤城山です。



上毛かるたで習うから群馬県民は大体知ってると会社の群馬県民が言っていた。漫画「お前はまだグンマを知らない」をお勧めされました。


遠く榛名山や浅間山方面は分厚い雲がかかっています。日本海側は天気が悪いようですが、太平洋側は天気が良い、その境目があの雲のあたりということらしい。
足利アルプスの稜線から北関東を見渡す


行道山から両崖山に至る足利アルプスを歩くことにしましょう。標高400mから200mクラスの山へ移動するため基本は下りとなります。雑木林の趣がある明るい尾根道は落ち葉が敷き詰められた絨毯のようで、歩くたびにカサカサという音が静かな森に響き渡ります。


雑誌やWebで紹介されることもあるためか、道中にはこんな標識が。



足利 LOVE Alps


行道山から少し歩くと車道へ。展望台となっている駐車場は大岩山最勝寺に参拝にする方に用意されたものらしい。


渡良瀬川沿いに作られた足利の町を見下ろせる展望台。写真右手に見えるのは御荷鉾山や秩父方面へと続く山の裾野でしょうか、斜めの線が関東平野に向かってゆっくりと降りていく。


駐車場のすぐ近くにははげ山、見晴台があるらしい。




午前11時20分、大岩山最勝寺。
足利アルプスのコースは最勝寺を経由して飛天岩へ向かうのですが、やや道がわかりにくい。
最勝寺の建築を楽しみたかったので境内を一通り見て回ったのですが、さすが日本三大毘沙門天という立派なお寺で大変満足いたしました。



大岩山毘沙門天。開山・行基菩薩、開基・聖武天皇、本尊・毘沙門天というお寺です。700年代はまだ大和の国が日本列島すべてを掌握しておらず、北には蝦夷と呼ばれる人々が住んでいました。毘沙門天は四天王のうち北をつかさどる戦の神、大和の国の最北に近いこの地に祀られたというのは両義的です。大和の側から見れば鎮守であり、蝦夷の側からすれば南より迫る侵略者の拠点だったというわけ。


境内にはいろいろな見所がありますが、本堂以外で目を引いたのは毘沙門天のスギ。めちゃくちゃでかいのでカメラにおさめようとするのは不可能でした。



御神木、大杉権現。樹齢6~800年といわれる三本杉です。三本なんて写真に収めらんねーよと思うくらいでかい。足利市では屈指の霊木と言われ、落雷から本堂を身を挺して守ったなどの逸話があるそう。木には野生のムササビが住み着いてるんだとか……。


山門には仁王像がいるのですが、2021年の両崖山の山林火災で緊急避難した際に破損。クラウドファンディングによる文化財修復が行われ、2026年にようやく山門に戻ってきたとのことです。



足利アルプスを歩いた際はまだ板にプリントされた仁王がいました。


大岩山の次は黒岩山。展望が全くない稜線上にある小さなピーク一つ一つに名前がついている……。


大岩山最勝寺からはやや地味な登山道を進むことになりますが、少し我慢するといい景色が拝めます。


午後12時5分、飛天岩。
足利アルプスで最も景色がいい場所はどこだ!?と聞かれたら北関東自動車道を見下ろす飛天岩というスポットではないでしょうか。山の中腹からヌッと現れる高速道路を見下ろす景色はなかなかに不思議です。



ミニチュアみたいな車をずーっと眺めていられる。


飛天岩周辺から両崖山までは1.1㎞。足利アルプスは思っていたよりもすんなりと終わりそうな予感がする。



もっと歩くもんだと思ってた、もう両崖山か。


もうすぐ最後のピークだなと思って歩みを進めますが、意外なアップダウンが体を楽しませてくれます。このまま降りちゃったらつまらないなと思っていたのでありがたい。


山間に広がる足利の町並みが徐々に見えてきました。12月ということでイメージは冬だけど、北関東は低山紅葉の真っただ中です。





大岩山方面を見返すと、刈り取られた見晴台周辺の目立ちようが凄い……。


両崖山山頂へ向かう最後のアップダウンは美しい雑木林が特徴的。ゆったりと降りて上り返す、甘美な歩行をプレゼントしてくれる道にカメラを向ける。



写真の区間は本当に歩いていて楽しかったなぁ。


午後12時40分、両崖山。
足利アルプス最後のピークである両崖山に到着すると御嶽神社があってびっくり、御嶽信仰の山なのか?
この山頂ですが、両崖山山頂を示す標識がいろんな場所に散っているのが特徴です。
一応、両崖山の山頂から山麓までは足利城跡という史跡になっています。築城は平安後期で藤姓足利氏の初代足利成行の時といわれ、天正18年(1590年)の小田原征伐において北条氏に味方した足利長尾氏6代目の顕長(あきなが)の代に城としての役目を終えました。



ふつうは一番高いところに山頂標識を置くものと思っていた。しかし、両崖山は色々なところに山頂を示す標識がある!


神社の手前にはでかでかと木曾御嶽講の石碑が建てられていました、御嶽講の山だったんですね両崖山は……。
石碑の色は暗く、木曾御嶽山信仰において霊神碑に使われる御嶽黒光真石のような雰囲気があります。



木曾御嶽山信仰の特徴は霊神碑(れいじんひ)と呼ばれる石碑です。奥多摩の御岳山も参道には沢山の石碑が建っていますが、あれは木曾御嶽山信仰の特徴の一つといえます。そして両崖山も石碑が結構目立つ山でした。




御嶽神社で柏手を打った後は山頂をうろうろ……、あれ?
歴史を説明する看板に足利百名山31番両崖山のもの。そして山頂から少し離れた雑木林の中に、これまた栃木百名山両崖山のものがありました。



一か所に置けなかったのかよ。


山頂らへんからは足利市の野球場などがよく見えます、ミニチュアみたいな雰囲気がある不思議な景色。


驚くほど直線な関東平野を見渡すことができるのは北関東の山の魅力の一つ。



人類が最初に目撃した直線は水平線と想像する作家もいます。そんな水平線に匹敵するくらい、関東平野の地平線はきれいな直線。
両崖山から古都足利観光へ


両崖山からの下山ですが、その尾根道は砂礫が目立つ荒涼とした道が続きます。両崖山までの土の道と比較すると快適とは言い難い。




織姫神社へ至る道中には公園とか……なんかいろいろある。
神社まで下りてくると観光客がメインとなり、登山の格好をしている自分はやや浮いた存在に。




午後1時35分、織姫神社。
足利アルプスのゴール地点に到着しました。朱塗りの美しい神殿が特徴の織姫神社が今日の目的地。
行道山・大岩山・両崖山と続く低山地帯の稜線に沿って広がる足利県立自然公園の一番南に位置している神社です。
ご祭神は機織りをつかさどる天御鉾命(あめのみほこのみこと)と織女(しょくじょ)である天八千々姫命(あめのやちちひめのみこと)の二柱とされています。二柱で共同して生地を織って、天照大御神に献上したといわれています。
足利は機場(はたば)として歴史がありつつも機織りの神社がなく。そのことに気が付いた藩主戸田忠利によって、1705年に上記の二柱が地元の神社に合祀されたことが、織姫神社の御由緒なんだとか。



境内には恋人の聖地がありました。訪れている人々にカップルが目立つな……と思ったらそういうことか。


織姫神社で登山は終了しましたが、まだ14時前ということで足利市内を観光してから帰ることにしました。神社を出たら早速「痛自販機」が出現、00年代を想起させる絵柄が施された自販機なんて秋葉原でも中々見ないぞ……。


足利の市内を歩いていると北関東特有の「都市の周辺地」が見え隠れします。現代から取り残された建築が持つ記憶を探っていけば、その底には渡良瀬川が持つ公害の歴史などが顔を見せるのかもしれない。


桐生・太田・足利はどことなく似た雰囲気が漂う。


さて、駅を目指して歩けば足利尊氏像が現れます。観光名所「鑁阿寺」がすぐ近くにあります。


鑁阿寺の拝観は無料で、美しい境内は観光客と地元の子供たちでにぎわっていました。登山客は自分だけ。
真言宗大日派の本山で、金剛山というかっこいい山号を持つお寺です。本尊は源氏、足利市の守り本尊である大日如来と言われています。日本の名城百選にも選ばれる鑁阿寺は、元はというと足利氏のお屋敷でした。



平安時代後期からの歴史を持つ場所です。境内で見るべきはやはりイチョウの巨木でしょうか?とにかく広いんですこの境内。


鑁阿寺のイチョウは浄因寺のイチョウを凌ぐ巨木です。その幹の幅は8メートルを超え、高さは31メートルにも及びます。参拝者による踏み固めを防ぐための石柱で囲まれた地面は、黄色く輝く落葉でおおわれています。


巨大すぎて写真に収めるのは無理かなぁ、というのも今回つけているレンズはNIKKOR Z 40mm f/2だったのです。(この記事に掲載されている写真は全部40㎜で撮影されているのでした。)
少し離れたところから見上げてみると、その巨体に驚かされます。


鑁阿寺を楽しんだ後はお隣にある足利学校を見学することにしました。入場料は480円です。
日本遺産に登録されている足利学校は日本最古の学校で、室町時代の1439年から学問の場として隆盛を極めます。
フランシスコ・ザビエルも「日本でもっとも有名な坂東の大学」と世界に紹介するほどだったそうです。



というわけで、足利学校に入学してきました。これ履歴書に書けますか?


復元された建物の中を訪れてみると……みんな勉強してる。マジで勉強している!?と思って中へ入ってみると歴史の問題的なプリントが配られていて、みんなそれを解いていました。


建物の前に置かれているのは宥座之器(ゆうざのき)と呼ばれる器です。孔子の説いた中庸を教えるものになります。人は食べ過ぎればおなかを壊す、食べたりなければ体力がつかない。食べすぎもせず、食べたりなくもない腹八分目の状態が理想というのが中庸、だそうです。



水を入れすぎてもダメ、入れ足りなくてもダメ、ちょうどよい分量の時に器は水平を保つ。これを中庸という!!!と説明に書いてあった。


立派な日本家屋と、足利学校の歴史を勉強したところでちょうどいい時間になってきました。午後3時……帰りましょう。


足利学校前は観光地になっていて、お土産屋さんが軒を連ねます。足利シュウマイと書かれたお店が気になり立ち寄ってみると、何やら小腹を満たせそうなご当地スナックが売っているではありませんか。
早速一つ購入して口に運びます。――うん、いまいちおいしくない!!



足利シュウマイというのは戦後の食べ物がなかった時に生まれたものらしい。玉ねぎと片栗粉を混ぜた生地を焼いて、ご当地のソースをかけて食べる。なんだろう……味に対してすっごくあっさりとした感じ。佐野のイモフライに共通するちょっとした虚無感がある。


足利シュウマイを食べたおかげでお腹が空いた……。ご飯を食べて帰る予定ではなかったんですけど、急遽予定を変更して、足利駅前でご飯を食べて帰ることに。立ち寄ったのは「ビストロくすぬむ」さん。






足利市内で登山後に立ち寄れる店はそんなに多くない。午後3時という飲食店が休憩時間になることが多いタイミングで営業していたのは本当にありがたかったです。サクサクした衣に包まれた厚手のとんかつは絶品。そのうまみを際立たせるソースとカラシのおかげで白米をきれいに食べることができました。



ビールもいただき、今日もハイキングをやりきった~という快感がこみ上げてきます。






くすぬむさんを出た後は足利駅から……というわけにはいきません、両毛線で北浦和に帰れるわけがないのです。
歩いて渡良瀬川にかかる橋を渡り、東武足利市駅から東武鉄道に揺られて久喜へ。夕方の闇に染まっていく埼玉県北部の畑を眺めながら、北関東の里山って面白いなぁと一日を思い返すのでした。


さて、お土産コーナーですが今回はワインになりますーーその名は「友愛浪漫」。
地図で確認するとわかるのですが足利には酒蔵がございません、代わりワインがあります。ココファームワイナリーが監修し足利の商業高校でデザインされたのが今回購入したワインです。
ワインの味は全く詳しくなく、山形のナイヤガラをこよなく愛し、池田ワインの清見が好きなRedsugar的には……おいしい。生酒特有の微炭酸が発泡する感覚が心地良く喉に透き通るような清涼感を与えてくれる、これは日本酒の生酒に通じるところがあります。苦くない、甘みがある、スッキリしている、ぶどうの味がするといったところで美味しくて当然というワインでした。もう本当にワインとか素人だから……碌なこと言えないんですけど、妻と美味しく飲ませていただいたワインとなりました。



足利駅前にある酒屋で購入することが可能です。足利に来たら日本酒ではなくワインを買うのが良いそうです。











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